壱章 アッテラ 14
レステンド家の人々は、往々おおらかであるらしい。突然訪ねた余所者であるキリアニルタとユファランタをも、とても手厚く持て成してくれた。使用人達の手際や対応は良く、気配りが行き渡っている。さすが、金持ちでだらだらしている家ではないな――とユファランタは隠れて分析していた。
事情有り気なロックがいるからなのかもしれないが。
ところでキリアニルタはといえば、妙に緊張している様子である。どちらかといえば気もそぞろ、というものであろうか。少女キャロンシーナのことが、そんなにも気になるらしい。キリアニルタはいつも冷静で、正確には感情を押し殺しているのだが、表情の動きも微細なものだ。何度も顔を突き合せないとその変化を捉えることはできない。
そんな彼を幼少の時分から見つめてきたユファランタの眼には、今その小さな変化が見てとれていた。微かに上気した頬――キリアニルタが内心興奮している証だ。それに、視線があちらこちらへ動いている。これは気が散っているということ。
その様子を微笑ましく見守りながら、ユファランタと、先を歩くロック、キリアニルタは温かく迎えられ、応接間に通された。
そこで待っていたのは、レステンド家当主のヴォガ・レステンドだった。年齢は四十代前後だろうか。焦げ茶色をした髪は硬質で、白髪一本も混ぜず後ろに撫で付けられている。それも、整髪料を使った様子はなく至って自然な流れで、嫌な感じを受けない。顎には同色の髭が蓄えられている。鋭く光る瞳は薄めの青。それが、厳しくも温かく突然の来訪者を見渡した。
「……ようこそ。早速だが、用件は」
「あー、えーと」
何も伝えられず連れてこさせられたロックにはその理由が分からず、困った眼でユファランタを見た。ユファランタは笑い返すと一歩前に出て、ヴォガの正面に立った。肘掛け椅子に腰をかけたヴォガが、ユファランタを見上げる。ユファランタは一礼すると口を開いた。
「初めまして。ユファランタと申します。こちらは弟のキリアニルタ」
「どうも」
「本日はお頼みしたいことがありまして、こうして訪れました」
「……それは?」
用心深げにヴォガが尋ねる。ユファランタは軽く腰を曲げ、言った。
「娘さん……キャロンシーナ嬢との面会、です」
「何故か」
ヴォガの言葉は厳しかった。その言葉を聞いたロックはユファランタの後ろで身を固くし、ユファランタ自身は堪えた様子もなく微笑を浮かべてみせた。
「旅の道中においても、そちらの噂は多聞に耳にしましたよ。――そう、金属製の鳥が飛ぶ、と」
ヴォガの目元に険しさが滲んだ。ユファランタは構わず続ける。
「是非、それを見せていただきたいと思いましてね。もしくは、それをお作りになった方でもよろしいですが、こちらの事情もありましてできればお嬢さんともお話したいですね」
唇をぐっと引き結んだヴォガは、すぐには何も答えなかった。ユファランタとキリアニルタのことを怪しんでいるのか、娘の身を危ぶんでいるのか、許可を下すか迷っているのか、どう追い返そうか考えているのか。その表情からはどれとも読み取ることはできなかったが、ユファランタはじっと待った。ここで短気を起こすわけにはいかない、動いて状況を悪い方向へやるわけにはいかない。姿勢を崩さず、ユファランタはじっと待った。
やがて、ヴォガは重い口を開いた。
「……許可しよう。ただし、変な真似はするな。誰か家の者をつける」
「俺が」
そこで口を開いたのは、ロックだった。キリアニルタが微かに震えてロックを見た。ユファランタはしてやったりといったふうに口元を吊り上げ、ヴォガは動かなかった。
「俺が、ついていきます。構いませんよね?」
「良かろう」
ヴォガは眼を閉じ、背もたれに寄りかかると右手を振った。退出の合図だ。ユファランタは逆らわずに頭を一度深く下げ、ヴォガへ背を向けた。ロックを先頭にし、三人は応接間を後にした。
ロックは迷うことなく、広いレステンド邸を歩いていく。ユファランタとキリアニルタは、ただついていけば良かった。向かうのはキャロンシーナの部屋だろう。一つ、二つ階段を上る。やがて『Kyaronsyna』と筆記体で記されたプレートのかかった扉の前に辿りついた。ロックの後ろにユファランタ、その後にキリアニルタと並ぶ。ロックは一度振り返ると、ユファランタに言った。
「あの、さ。もし、もしお嬢さんが体調崩したりとか、そういうことしたら、即刻退場させるぜ? 良いよな?」
「はい、もちろんです。貴方のほうが、キャロンシーナ嬢の具合についてはよくお知りのようですしね。判断はお任せしますよ」
「おう。……あ、あと、用件はお前が言えよな。俺は何も言わねえぞ?」
「はい」
ユファランタが丁重に礼をしてみせると、ロックは呆れたような溜め息を吐き出した。それから扉に向き直り、右手の拳で二度、ノックをした。
「……どなたですか?」
問うのは細く高い声。幼いながらも気品を感じさせるような少女の声だった。それが、静かに誰何する。
「俺です。……入るぞ」
ロックが押し開けた扉。それは軽い力でも容易く開くようになっていて、小さな音と共に室内の様子を明らかにした。少女らしく壁際に並べられたぬいぐるみの数々、床は板張り、壁は白塗り。窓は大きく、多くの太陽光を取り入れるそこに置かれた清潔そうな寝台、そして部屋の中央には、少女。
少女が嬉々として叫んだ。
「――兄様!」