壱章 アッテラ 11
「ほう、そんなに?」
「だーって、毎日だぞ? 毎日やってるんだよ、あのお嬢様。外に出る時間さえ限られてるんだ」
「へえ?」
「最近は、多くて二時間までか。継続しては一時間。でも、前は一日十分だったし、長く外に出られるって喜んでたなぁ」
「……?」
ユファランタは、ロックの物言いに少し違和感を感じた。しかし、気持ち良さそうに話すロックを見ると、今は深く考えまいと決める。ユファランタの表情に微々たる変化に、ロックも気付いていないようだ。ならば問題はない。
「うん。んだな。えーと、色は緑に塗られた感じだったぞ。地の色って感じじゃなかった。確か軽銀だった、かなぁ?」
「軽銀……アルミニウムですね」
「あるみにうむ? 何だそりゃ?」
「軽銀の別名ですよ」
なるほど、軽銀ならば軽いし、鳥の形に加工しやすい……のかもしれない。実際見たことがないからよくは分からないが。そこまで聞くと、ユファランタはわくわくと胸の奥が沸き立つのを感じた。軽銀製の鳥。それも飛ぶ。見たい。見てみたい。
「お前、分かりやすいのか分かりにくいのか、分かんねぇ」
「はい?」
疲れを滲ませた声に振り向くと、ロックが呆れたように眉根を寄せていた。ユファランタはとぼけて首を傾げてみせる。ロックは、さらに重い溜め息をついた。
「いや、だってにっこにこ笑ってるかと思ったら、眼ぇきらきらさせ始めたり、わけ分かんね」
「そうですか?」
「あー、うー、いや、良いやもう。諦めよ」
「貴方も苦労人ですねぇ」
「原因の一つはお前だっつの」
嘆くロックに、笑うユファランタ。確信犯である。
そういえば、そろそろ夜も更ける。ロックは大丈夫なのだろうか。
「お時間、大丈夫ですか?」
「ふぇ? ……あ、いっけねぇ」
案の定、慌てたように立ち上がったロックは、胸の前で両手をぴしりと付き合わせ、謝罪の意を示した。そうして、階段をどたばたと駆け下りていった。何かあったのだろう。たぶん。引き止めすぎてしまったかもしれない。ユファランタは密かに反省した。
二〇九号室の扉を開くと、キリアニルタは起きていた。そして、カナルナータは寝ていた。
「やっぱりかぁ」
「何が」
「んー? カナルだよ」
そう答えつつ、ユファランタはほっと胸を撫で下ろした。良かった、キリアニルタはいつもの調子だ。怒っている、または落ち込んでいたらどうしようかと思っていたのだ。おどけているものの、ユファランタは案外心配性だった。そして、そんな場面に居合わせた時の対処の仕方を知らない。だからこそ、困るのだ。
「うーん、兄馬鹿なのかなぁ、やっぱり」
「何が」
「いーえ、何でもございません」
つい先ほどと同じ台詞で問うてきたキリアニルタの様子から、もしかしたらこっそり怒っているのかもしれないとユファランタは予想した。しかし、キリアニルタは腹が立つからといって怒鳴り散らしたり暴れまわるような性癖はないし、また小さな怒り程度はぶつけてこようとしないので、今のところは大きな問題はないのだろう。
「カナル、起きた?」
「いや、全く。……寝言は言っていた」
「へぇ。何て?」
「あ……、『あー、んー、ユフの馬鹿ー』とか、『手伝いなさいよ馬鹿ユフー』とか、『キリご飯まだー』とか、『本ばっかり読んでるんじゃないわよ』とか、『お腹すいたー』とか、……そういう」
「ユファランタさん、罵倒されすぎですねぇ」
キリアニルタの物言いはいささか棒読みの感があったが、もしかするとカナルナータはかなり叫んでいたのかもしれない。にしても、キリアニルタが部屋へ戻ってきてからそれほど時間が経ったわけでもないのに、こうも寝言が多いというのはどういうことなのだろう。しかもその内容は、ユファランタへの暴言ばかりである。言われたほうとしては、かなり胃の居心地が悪かった。
「何かしたっけなぁ」
「してない、とは思う」
「だよねぇ。まあ良いか」
全く心当たりがないわけではないのだが、だからといってしょげないのがユファランタのユファランタたる所以である。単なる八つ当たりだ、と処理すると、ユファランタはキリアニルタに、テーブルの前に座るよう促した。
「鳥とお嬢様の情報、仕入れてきたよ」
「そうか」
キリアニルタは、極力感心がないように振舞っているようだった。それを微笑ましく見守りながら、ユファランタは言葉を繋いだ。
「外に出られるのは、多くて二時間だって。鳥は軽銀製。緑の塗料で塗られているらしいけど。……あ、あと」
ユファランタは一瞬だけ言おうか言わまいか迷ったが、すぐにその迷いを打ち消した。
「あの男ね、怪しいよ」
「……あの男?」
「さっきまで話してた人。名前はロック、って言ってたけど。怪しい」
「もっと具体的に」
「うーん、何て言ったら良いんだろう」
おそらくあの場に居合わせていたら、キリアニルタもその違和感には気付いていたはずだ。しかし、感じたのはあくまで『違和感』であり、ユファランタはまだその正体を掴み取っていなかった。
キリアニルタに一言断り、ユファランタは思考の海に自己を沈めた。
違和感。何だろう。何がおかしかった? 何が、引っかかった? 何処に? 言い様だ。どの台詞の? いつだ。キャロンシーナのこと。外に出る時間。二時間。以前は、十分。喜んでいた。喜んでいた? まるで、その場にいたような。
「そうか」
ユファランタは会心の笑みを浮かべた。