壱章 アッテラ 10
「…………」
ユファランタとロックを見下ろすキリアニルタは、不機嫌そうだった。頬には一切の表情というものを乗せることなく、ただ瞳のみで雄弁に心情を語っていた。ぽかんと口を半開きにしたロックの首筋を冷や汗が伝い、余裕で微笑むユファランタはさらに笑みを深める。口を開いたのは、ユファランタだった。
「やあ、キリ。お仕事は大丈夫なの?」
「……疲れたなら、休めと言われた」
「ああ、店主殿ね」
うんうん、とユファランタは頷く。おそらく、やり取りを見ていたキリアニルタの表情を見て、何も知らないながらも何かを感じ取ったのであろう。だから、店主としては気を遣ってくれたわけだが、キリアニルタにとってそれは面白くない。さらに、どこかへ言ったと思われたユファランタとロックが、よりにもよって自分のことを話しているではないか。自然不機嫌になる――ということ、だろう。
しかし、そこまで読んでおきながら、ユファランタは謝罪の言葉一つ口にしない。ロックも何も言えなくなっており、キリアニルタもそれを求めているのではなかろう。静かな身のこなしでユファランタの隣にしゃがむと、無言のまま右手を差し出してきた。
「……ん?」
「鍵」
「ああ」
話に夢中になっていたため気付かなかったが、そういえば部屋にはきっちり鍵をかけておいたから、キリアニルタは入れないのだった。そして、鍵を持っているのはユファランタである。ごそごそと長衣の内側を探り、部屋の鍵を取り出して、声をかけながらそれを手渡す。キリアニルタはそれ以上会話を続けようとせず、すぐに部屋へ入っていった。鍵をかける音はしなかった。どうやら、閉め出されるということはなさそうだ。
「な、なあ、キリ、怒ってる?」
恐々とロックが尋ねてきたのに、それはない、安心して下さいと答えると、ユファランタはさらに懐から賽を取り出した。立方体の六面には、それぞれ違った絵が描かれている。青い龍、朱い鳥、白い虎、黒い亀が四面に連なり、下の面には黄で麒麟が、上の面には龍が描かれたもの。ある地方の陰陽五行説というものを元に作られたものらしい。ちなみにその説について、ユファランタが詳しいというわけではない。
「何だ、それ」
「ただの玩具ですよ」
言ったとおり、ユファランタはそれを指先で弄んだ。現在はただの弄り道具のようだ。本来は正規の用法があり、ユファランタもそれを知ってはいるのだが、実際に使う機会は数少ない。
「それ、見てもいいか?」
「やめておいたほうが良いですよ」
「は、どうして」
「だって……ねぇ?」
意味ありげに唇をひん曲げたユファランタは、面白がっている風情で答えた。
「だってここには、恐ろしい怨霊が封じられているんですから、ねぇ?」
「え……えええぇぇ!?」
ロックは盛大に驚き、そして噴き出した。
「ちょ、おい、お前何の冗談だ! 怨霊? こんなちっぽけな四角に、封じられてるだって? そりゃないだろ、今時誰も信じねぇよ!」
「はあ、じゃあ、確かめてみます?」
しかし、そう言われると恐ろしくなるものだ。ロックは慌て、丁重にお断りした。本当に怨霊だったらどうしよう、呪われたらどうしよう。しかも、ユファランタだったら本気でやりかねない気がする。やはり、最も重んじられるのは自分のことなのだった。
「俺、まだ死にたくねえよぉ」
「誰も、死ぬとも殺すとも言ってませんが」
「え? だって、怨霊だろ?」
「さっき信じないって言っていたのに、もう心変わりですか」
「あー……うー……お前に言われるとなぁ」
実は、ロックを連れ出したのにはもう一つ目的があった。それこそ、ユファランタがアッテラへとやってきた理由。空を飛ぶ金属の話。
金属には色々と種類があるが、どれについても単独で浮上したという話は未だ聞いたことがなかった。もちろん、手に掴まれ持ち上げられるとか、浮上の術をかけられるとか、そんなことはしょっちゅうあった。だが、アッテラから流れ来る噂によれば、それはそれ一つで宙に浮き、あまつさえ移動するのだという。ユファランタとしては、非常に興味深い。
「ところでところで」
そんな呼びかけで、ユファランタは本題その二へと突入した。
「んー?」
「空を飛ぶ金属があるって、本当ですか?」
「うぇっ、お前、旅してんじゃなかったのか? 何で知ってんだ!?」
ロックは本気でたまげたようで、眼を限界まで見開くと、ずさっと素早く身を引いていた。それにくすくすと笑みを返しつつ、ユファランタは答える。
「旅をしているから、でしょうかね。結構有名なのですよ? アッテラの空飛ぶ金属」
「うっひゃあ、参ったなぁ」
後頭部を手で掻くと、ロックは派手に溜め息をついた。
「まあ良いけどよー。隠しておくことでもないし?」
「ありがたいことです」
「興味あんだろ? オッケーオッケー、第一お前に嘘とか誤魔化しは通用しそうにねぇし?」
両手を頭の横で掲げて、おどけてみせるロックを、ユファランタは促した。
「金属の鳥が飛ぶんだってことは、真実だ。俺だって見たぞ。ええと、アッテラの大富豪、知ってるか?」
「確か、レステンドさんと仰いましたか」
「そうそう。ヴォガ・レステンド。金属の鳥を持ってるのは、娘のキャロンシーナだ。いつもテラスで、そいつを放して楽しんでる。それを見てる人は、沢山いるぜ」