壱章 アッテラ 09
「へ?」
そこでようやく、男はキリアニルタの表情に気付いた。しまった、と苦々しく唇を引き、素直に謝る。
「あー、悪かった。悪気はなかったんだけど」
「気にしてない」
答えるキリアニルタの声も、少し硬くなっていた。それを聞きとめ、ユファランタは男に言った。
「良かったら、お話しませんか? 貴方がお忙しくなければ」
大きいものでも、荒げられたものでもないが、その言葉には有無を言わせない力があり、男は気付けば首を縦に振っていた。それからはっとして店主を見たが、全てを聞いていたらしい、店主は何も言わずに無言で頷いた。感謝の念を送ると、男はカウンターの外側に回った。ユファランタはそこで待っていた。
「とりあえず、あまり聞かれたくない話ですから」
ユファランタは男を階段の上へ誘った。きしむ階段の音が、やけに響く。突き当りまで行くと、ユファランタは躊躇なく床に座り込んだ。最初は呆然とそれを見ていた男も、すぐにユファランタにしたがって腰を下ろしていた。
「ひとまず自己紹介しましょうか。ユファランタです」
「あ、俺はロックっていいます」
「よろしくお願いしますね」
握手を交わし、ロックは単刀直入に切り出した。
「で、さっきの話ですけど」
「無理して敬語を使う必要はないですよ。普段どおりで。良ければユフと呼んで下さい」
「はあ……ユフ、か」
「ええ。ありがとうございます」
「って、そういうユフはもろ敬語じゃねえの?」
「まあ、これは性分です」
抵抗を覚えつつ、ロックは普段の口調で話す。それに満足げに頷き、ユファランタもいつもどおり喋る。しばらく、口調についての論議が続いた。ロックは、話題が変わっていたことに気付いていなかった。
他愛のない会話をしているように見せかけ、ユファランタはロックの人柄を測っていた。普段どおりで、というのもそのためで、いつもと違う口調になると、相手の本質を読み取りにくいのだとユファランタは知っていた。その短い時間で、ユファランタはロックに下心はなく、また誠実であるという人柄を見抜いた。
「さて、先ほどの話ですが」
唐突に話題をふると、ロックはその転換に付いていけず、ええと、とどもった。しかしすぐに思い出すと、表情を引き締めた。
「ああ」
「彼女と呼べるような、女性はいませんでした」
「は……」
ユファランタの言葉に、ロックは力を抜きかけ、
「しかし」
再び入れざるを得なくなった。ここからが本番だといわんばかりに、ユファランタの瞳は真剣な光を宿していた。つばを飲み込んだロックは、それを見返してはっとした。光の奥に、闇が見えた。気のせいだと首を振っても、そのイメージは消えなかった。ユファランタは一呼吸を置いてから、言った。
「将来その立場になるであろう、少女はいました」
「それは、どういう」
「村を追い出されたのは、キリが……そう、八歳だった頃です」
八歳。
ロックは息を呑んだ。八歳。八歳で、村を――追い出された?
「ええ。兄弟揃って、追い出されました」
「親は」
「追い出された、正確には自分達から出てきたのですがね。殺されそうだったので。同じ日に、殺されました」
「殺され……た?」
「そうですよ。村に、妖しい奴らを連れ込んだ裏切り者、ってね。
最初は、出て行けと。しかし、両親共にそれを認めず、逃げました。二人で」
「じゃあ、あんたらは」
「置いていかれましたよ? 子供ですから、害は加えられないと考えたのか、はたまた邪魔な荷物扱いしたのか。前者だとしても、その考えはハズレでしたね。たとえ子供でも、女だとしても、姿を見かけただけで石を投げつけられましたから」
「女?」
「姉のことですよ」
「あ、ああそうか。あんたのことじゃねぇよな」
確かに、ユファランタが女に間違われることはなくはないのだが。ユファランタの容姿は、ややこしいのだ。女だとしても長すぎる髪もそうだし、常に長衣を纏っているため体型もぱっと見では窺えない。ちょうど今も、長衣は全身を覆っている。
ユファランタは、意地悪な笑みを唇の端に乗せた。
「何なら確かめますか? ちょうど良いですね、貴方は男性ですし、見せ惜しみするようなものはないですし」
「いや、いや、結構! そういう趣味はねえ!」
精一杯否定するロックに、ユファランタは可笑しみを覚えて笑った。ロックは恨めしげに眼を細めて、じっとりとユファランタを睨んだ。
「お前、性格悪いって言われねえ?」
「ああ、それは良く言われますよ」
「うあー、やっぱりだ!」
俺、何でこんな奴と知り合っちゃったんだろう。
とでも言いたげに、ロックは頭を抱えて仰け反った。本気で後悔しているようにも見える。雰囲気が軽くなったのを感じ取り、ユファランタはそのまま軽い口ぶりで話を再開した。
「その時から、生き別れです。ついでに言ってしまえば、その少女はとても病弱でして、別れた時もちょうど風邪をこじらせていましてねぇ」
「うわ……キリ、良かったのかよ」
「その時は何も言いませんでしたし、今も言いません。あの時から、そうですね、七、八年程経ちましたけど、そのことを口に出したことは、一回もありませんよ、彼は」
「なんてこった、俺、まじやべえこと言った」
「お気になさらず。キリも、あの程度でへこむような人間じゃあありませんから」
「そうか……」
両手を組んで、祈るような体勢を作ったロックに、ユファランタはそっと頼んだ。
「あまり長く留まるつもりはないですけど、そうもいかないと思うので、仲良くしてやってくださると嬉しいです。寡黙ですけど、良い奴なんですよ、キリは」
「その台詞、ただの兄馬鹿みたいだぞ」
「あはは、確かに、それを装っていますからねぇ」
「装いかよ!」
「それとなく励ましてやってください。実はあれで、落ち込んでいるというか、気にしているというか、ね」
「……おい」
不機嫌そうな声が、頭上から降ってきた。二人はぴたりと動きを止め、ユファランタはにこやかに、ロックは恐る恐る顔をあげる。聴き覚えがある声。そしてそれは、今まさに話題にしていた人物の声。
「キリ」