壱章 アッテラ 08
約束した手前、というだけではない。ユファランタは、一度腹を括ってしまえば躊躇無く現実を突きつけてしまえる性格をしていた。たとえ相手が自分の姉だったとしても、その気になれば相手を押さえつけ屈服させ、己を優位に立たせることのできる自信と、実力とを持ち合わせていた。
そして今、ユファランタは覚悟を決めたのだった。
「第一に」
「うん」
「貴女が町に到着したと思ったら直後食物を欲されとある食堂で二時間もかけて大量の食物を摂取したおかげでかなりの金額を取られたもとい貴女が浪費したためすでに所持金は底を尽きかけていましてそれをどうにかすべくキリがその身を挺して金銭を取得しようと奮闘している次第であります」
「……は?」
長い台詞を、息継ぎもせず、一気に言ってのけたユファランタは、吐き出した分を補充すべく息を吸い込んだ。その間に、カナルナータは眉根を寄せ終え、理解不能の意思を示す。ユファランタは全く同じ台詞を、今度はきっちりと必要以上に区切って伝えた。
「貴女が、町に到着したと思ったら、直後食物を欲され、とある食堂で、二時間もかけて、大量の食物を摂取したおかげで、かなりの金額を取られた、もとい貴女が浪費したため、すでに所持金は、底を尽きかけていまして、それをどうにかすべく、キリが、その身を挺して、金銭を取得しようと、奮闘している次第であります」
「……つまり、私のせい?」
「下で既に言いましたが」
カナルナータは、苦虫を噛み潰したような顔をして、ユファランタを見ていた。さあどうするだろう、とユファランタが見返していると、カナルナータは無言でくるりと体の向きを反転させた。
「おや?」
意識的に発したユファランタの声にも反応せず、カナルナータはどしどしと寝台へ向かい、見事な身のこなしで身体を滑り込ませた。唖然とするユファランタに向かってか、やけにさわやかな一言。
「おやすみユフ、明日もよろしくね!」
「……姉上様」
ユファランタの笑顔が引きつった。なるほど。つまりカナルナータは、自分が責められるのが嫌で、それを回避しようと狸寝入りのつもりをしようとしているわけなのか。ああそうなのか。それで良いのか。弟に労働させておいて、それで良いのか姉よ!
心中でのみ芝居がけ、しかし表には出さずカナルナータを無理矢理に起こそうともしないユファランタであった。起こしたところでカナルナータがキリアニルタの代わりをやろうとするわけでもなかろうし、第一カナルナータの料理の腕前は酷いものである。さすがにユファランタに比べるとましだが、キリアニルタには遠く及ばない。食堂で働けといっても、ただの邪魔にしかならないだろう。
かと言って、他にそんな急に短期間だけ雇ってくれる店がどこにあるだろうか。
つまり、ユファランタはカナルナータの説得を諦めていた。
「……まあ、どうにかなるしね」
キリアニルタは、他人の分まで何も言わずに頑張ってくれるのだから。それほど嬉しいことはない。見返りも気にしないし。
テーブルの上に置いたままになっていた鍵を手に取ると、ユファランタは部屋を出た。外から鍵を閉めると、中でカナルナータの慌てたような声が聞こえたが、ユファランタは気に留めなかった。しばらく待っていると、取っ手が内側からがちゃがちゃと揺らされ、扉が強く叩かれたが、やがて諦めたように収まり、ぱったりと静かになった。扉の前でその様子を見ていたユファランタは、
「……中からも鍵は開けられるのに、どうして気が付かないのでしょう」
呟いて、再び階下へと降りた。
キリアニルタは、スープのだしを取っていた。
動かずにいることが苦手な性分ではないので、時間がかかる作業でもキリアニルタは嫌がらずにやる。鍋の前でじっとしているキリアニルタの姿を、何かと話しかけてくる人懐こい男が、感心したように見ていた。
「お前凄えな。俺さあ、苦手なんだよ煮込みとか。お前手馴れてるよなあ。何か、コツとかあんのか?」
「見てる」
「はい?」
短いキリアニルタの答えに、当然男はぽかんとする。
「具材の様子を、見る。観察すると、いうか。子供の世話を、する時みたいな」
「はあ……てか、子供の世話?」
年に似合わない言葉が出てきたため、男は首をひねっていた。キリアニルタのほうも、言ってからその奇妙さに気付き、少しばかり後悔していた。しかし、スープの仕込みのほうが最重要事項であるため、深く考えずに作業に戻る。
「まあ、良いけどさ」
男も違和感を振り切り、話題を変えた。
「何でそんなに上手いんだ? その年で」
「……前からやってた」
「前から? どっかの店に入ってたとか?」
「いや、そういう経験はない」
「へぇ〜。じゃあ、どうしてだよ」
単純な興味から、男は尋ねてくる。それゆえ、はぐらかしにくいものだ。キリアニルタは会話を切り上げて目の前のものに集中したかったが、男の様子からそれは無理そうだと判断した。追っ払うため、手短に話す。
「子供の時から色々作ってただけだ」
「へぇ。何、彼女でもいたの」
一瞬だけ、キリアニルタの動きが鈍った。しかし、人間とはそういう話題には敏感なものだ。男はその変化を見とめると、面白がるように笑った。
「はっはぁ。なーるほど、ね。で? もしかして仲違いしたとか?」
「…………」
キリアニルタの表情に、苦しげなものが混ざり始めた。しかし、後ろから話しかけている男に、それは見えない。遠慮なく言葉を続けていく。
「だって、三人で旅してんだろ? ってことは、その娘は一緒じゃないってことだ。何でだ?」
「…………」
「なあ……」
「それくらいに、してもらえますか?」
穏やかな声が聞こえた。ん? と顔を上げた男の眼には、カウンターの向こうに立つ少年の姿が映った。青い鮮やかな瞳を持ち、長い栗色の髪を背中に垂らした少年――ユファランタだった。