壱章 アッテラ 07
ポテトフライを口に運んだ姉の顔が奇妙に歪んだのを見て、ユファランタもまた顔を奇妙に歪ませた。カナルナータは、ぐるりと首を傾けて、
「……ねえユフ」
「なんでしょう?」
「これね、なんか味が」
「どうかしました?」
「……キリっぽい」
「はい?」
行った途端、カナルナータはばたんと立ち上がり、カウンターへと猛突進する。唖然とする他の客達の間をすり抜け、混雑したカウンターから身を乗り出し、厨房を覗き込む。そして、何かを見つけて、
「あああああああぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜っっっ!!」
それを指差し、店の外の通りまで響き渡るような大声で叫んだ。
厨房内にいたキリアニルタは、げんなりとしてカウンターで声を張り上げる姉を見やった。先ほど手伝ってやった男が、近寄ってきて、口元を手で覆うようにして囁いた。
「……あれ誰?」
「姉貴」
「姉ちゃんいたのか?」
「……ああ」
「あの指、お前を指してるよな」
「…………ああ」
「行ったほうが、良いよな」
「…………」
キリアニルタには、もう既に答えるほどの余裕がなかった。男は諦めたようにキリアニルタの背をばしばしと叩くと、
「よし、行け。こっちは見といてやる。何かしとくもんはあるか?」
「いえ、特にはないです。お願いします」
「任せとけ」
その間、カナルナータはカウンターの外側できゃんきゃんと喚いていた。
「きゃーっ、キリ、何で、何でいるのよっ!? キリ? 何で? どうして? ここ就職したの? ねえ? ちょっとぉ、答えなさい馬鹿キリ!」
「…………」
「説明しなさぁいっ!」
がしり、とキリアニルタの胸倉を掴み上げると、カナルナータは物凄い目付きでキリアニルタを凝視した。
「キリここで働くの? そしたら私達どうしたら良いのよ? 朝ごはん! 昼ごはん! 夕ごはん! キリがいないと食べれないのよ!? 分かってるの!?」
「働くとはまだ言っていない……」
「じゃあこれから言うのかしら? ねえ? 勝手に決めないでよっ、こっちは大変なんだからね色々な手続きとかっ」
「カナル」
人を掻き分けてやってきたユファランタが、カナルナータの肩に手を置く。
「ちょっと落ち着いて。勝手に決めてるのはカナルじゃない?」
「あうぅ、でもキリもキリだわ、はっきり働かないって言えば良いのに!」
「キリが今ここで苦労して働いているのは貴女のためなのですが」
「何で!」
がうう、と猛獣のように牙を剥くカナルナータだったが、ユファランタはそれを笑顔でかわす。右手を肩から頭へと移動させると、ゆっくりと撫でる。
「部屋に戻って、ゆっくり話をしよう」
「むうぅ、その言い方があぁぁ」
「じゃあキリ、頑張れ」
その言葉と笑顔の残像を残し、ユファランタはカナルナータを連行していった。それを見送るキリアニルタは、思わずぼやく。
「なんだったんだ」
「それはこっちの台詞だ!」
返してきたのは厨房の男で、カウンターのこちら側にやってくると、腕をキリアニルタの肩に回した。
「いや、最初は似てるって思ったんだよな、姉ちゃんって聞いた時。目元とか髪の色とかさ。でも、性格は案外似てないのな。あ、あの一緒にいた栗毛のは兄ちゃんだっけか?」
キリアニルタは首肯する。男はうんうんと一人納得し、
「あっちとは見た目も似てないよな。でも、姉ちゃんに振り回されてるのはどっちも同じみたいだなぁ」
それに異論はなかったため、キリアニルタは何も答えなかった。何もかも図星だった。しかし、姉という脅威が去った今、キリアニルタの最重要事項はスープの下ごしらえだった。途中で放り出してしまい、そんなに手間もかからずコツも要らないものだったが、だがそれはそれで心配だ。任せた相手も少しばかり心配だったため、キリアニルタは大鍋の元へと戻った。男の、つれないなあという呟きが届いてきた。
キリアニルタは、スープの仕込みを再開した。
二〇九号室では、カナルナータが仁王立ちになっていた。
「さーあユフ! 説明してもらおうか! どうして、キリがあんなとこにいたのかを!」
「その前に」
ユファランタが制し、懐から紙袋を取り出す。
「これ、忘れてない?」
「きゃあぁキリのポテトフライ!」
間違ってはいないのだが、確認もせずに確信したカナルナータは、ユファランタの取り出した紙袋を奪い取り、中に入っている先ほどのポテトフライを素早く平らげていく。ユファランタとしては、そのまま怒りを忘れてもらえれば良かったのだが、カナルナータの執着は強かった。はたまた、ポテトフライを取り出したのがいけなかったのか。
「で、どうして?」
結局蒸し返され、ユファランタは内心落胆した。しかしそれを表に出すことはない。
「んー、いやあ、それはねえ」
「えー? 言えないのー? やっぱり就職しちゃうのー!?」
「違います違いますご心配なく」
両手を胸の前でひらひらと振ることで、ユファランタは否定した。カナルナータはまだ疑わしそうな表情をしていた。眉を寄せて顔を近づけてくるカナルナータに、
「説明しますから。はい。約束してましたからね」
「もったいぶるな」
カナルナータはかなり不機嫌なようだった。