壱章 アッテラ 02
「金属が空を飛ぶんだって」
笑顔を頬に貼り付けたまま、ユファランタは言った。
「……はあああああああああぁぁぁぁぁ!?」
木々の間に、カナルナータの怒号が響き渡る。――そう、まさに怒号だった。じりじりと怒りを滲ませ、カナルナータはきっとユファランタを睨みつける。ぎりぎり噛み締めた歯の隙間から声を漏らすように、言う。
「あ・り・え・な・い。何それ、金属が空を飛ぶぅ!? そんなの見たことも聞いたこともないわよ!」
「だから面白いって言ってるんじゃないの」
困惑を少しばかりあらわにしつつ、ユファランタがたしなめる。カナルナータはむっと唇を尖らせ、さらなる説明を要求した。ユファランタは即了承した。
「つまりね。そのまんま。金属製の鳥が、翼を羽ばたかせて空を飛ぶんだって。まだ分からない?」
「んー、言ってることは分かるのよ? だけど……信じられるわけがないでしょ!」
「そう言われてもね、まあ噂だしさ。確かなことではないけど」
「〜〜〜〜! キリ! あんたどう思う!?」
「俺に訊くな」
突然話をふられたキリアニルタは、カナルナータの飛ばすつばから身を引いた。鍋の底に少量残った粥を平らげ、ユファランタが差し出しカナルナータが握りしめるそれぞれの椀を受け取る、半ば奪い取ると、食器類その他もろもろを手に立ち上がった。
「片付けてくる」
「あっ、キリ! ……逃げたな」
「そのようでございます」
どこかの悪代官のような目つきをするカナルナータに、神妙な表情で頷くユファランタ。カナルナータは不貞腐れて押し黙る。ユファランタも、話すことは特にないため黙り込んだ。
「……一体何なのかしら、見てみたいわ」
やはり沈黙には耐えられなかったらしい、むっすりとしたままカナルナータがやがてぽつりと零した。それにユファランタは苦笑して、
「なら、キリが戻ってきたらすぐに発とうか」
「そうね! そうしましょ!」
「じゃあ荷物を纏めておこうね?」
「はーい」
ようようといった風情でカナルナータも立ち上がった。しかし、そのまま読書を再開したユファランタに、カナルナータはさらなる咆哮を上げる。
「ユ―――――フ!! ちょい! あんた荷物はどうすんのよ他人(ひと)には言っておいて!」
「もう準備万端。カナルはまさか、まだでしょう?」
「うー、そうね、全然」
「じゃあ早く」
「はぁーい」
小さくなるカナルナータの背を見送ると、ユファランタは再び読書に専念した。
「さあ出発よ、いざアッテラへ!」
「はいはい。その台詞、本当だったらもっと前に放たれててもおかしくないよね」
「ああもう煩い! それについてはほっときなさい!」
ばっさり切り捨てたカナルナータは、先頭に立って歩き出そうとする。
「ちょいカナル」
「何」
「方向正反対だよ」
「きゃうー、早く言いなさい!」
「言っただろう」
ぼそり、とキリアニルタは呟くと、広げていた地図を畳みポケットへとねじ込む。萌黄色の草原が広がる中、煉瓦の外壁が臨める、そこがアッテラである。広大な草原の中であっても、数多くの商人が集いかなり賑わう街である。そろそろ必要なものも出てきたし、キリアニルタはそこで調達する予定でいた。用事は早く済ませたいと、さっさと足を動かし始める。
「あっキリ! 待ちなさい!」
それに目ざとく気付いたカナルナータが、遮蔽物のない草原で叫ぶ。かなり遠くまで響くそれは、かなり大音量である。街中でなくて良かったと、弟達はひそかに胸を撫で下ろした。
「置いてかれるよ、カナル?」
「分かってまぁすよぅ、行くよユフ!」
「了解」
軽く敬礼をしてみせたユファランタの腕を鷲掴み、カナルナータは走り出した。引きずられるような状態におかれるユファランタの表情はあくまで穏やかで、カナルナータは真剣で、キリアニルタは無表情に進む。空は日々同じように流れ、時に雨を降らし風を起こしつつ巡る世界と同様、これが彼らの日常であった。
「どれくらいで着くの?」
「さあ……でも視界に入るくらいだし、今日中には着くんじゃないかな」
「やったぁっ! 食うぞ食うぞ〜!」
「年頃の乙女が言う言葉ですか?」
「うっ……だ、だ、大丈夫!」
びしり、とカナルナータは親指を立ててみせたが、内心かなり苦しそうだ。と見ている間にも、その頬を脂汗が一筋伝っていく。足を止めた彼女の横を、ユファランタは平然とすり抜けた。あっ、と声を上げるカナルナータ。ユファランタは無視して歩いた。ちなみに、キリアニルタはさらに先を歩いている。
「ああもうっ、いつも言うけど、二人とも歩くの早すぎっ!」
「……早くアッテラに到着して、ご飯を食べるのではなかったのですか?」
「さりげなく蒸し返してくるし〜!」
カナルナータが地団太を踏む。軽く笑い声を上げたユファランタの背に、苛立ちをぶつけるかのように拳を打ち付けると、荒く鼻息を吐いた。
「ユフってさ、妙に意地悪」
「待ってましたその言葉」
「ほらあ〜!」
「ふふふ」
青い眼をすがめ、ユファランタは微笑む。それに対し、胸の前で拳を握りしめるカナルナータはまるで子供のような不貞腐れようで、そんな二人の触れ合いを置いていくキリアニルタは兎に角歩いていく。さらに間があくが、一人は気付かず二人はあえて気にしない。片方は単に面倒なため、もう片方はカナルナータが慌てるのを見て楽しむためだ。
やがて、二人の予想通りカナルナータは慌て激怒し、二人の弟の首を絞めた。