壱章 アッテラ 01
カナルナータは、無言で座っていた。
普段彼女が黙って一箇所に留まっているなど考えられないのだが、今は特別だ。何故かというと、呪具作りをしているからだ。手元に気を集中させる。こまごまと指先を動かせば、シンプルで何でもないようなアクセサリーに見える高性能の呪具が出来上がる。他の細かい仕事はできないが、これだけはカナルナータの特技だ。
細く穴の開いた石を五つ、糸に通す。反対側からも同様にして、さらに小さな石をいくつも通していく。軽く振って並びを揃えてから糸の両端を結ぶと、守りの呪具が完成した。うん、と満足げに頷くと、カナルナータは立ち上がった。
「あーお腹すいたな! キリ、お昼できたぁ?」
それに対する返事は、ない。
「キリー、お昼ー! まだぁー? まだぁー? キリったらぁ!」
「叫ぶと、お腹が余計すくんじゃない?」
とカナルナータをいさめる穏やかな声があった。物凄い目つきでカナルナータが振り返った先では、長く伸ばした栗色の髪の少年が分厚い本を読んでいる。カナルナータは恨めしそうにして、一音一音言葉を発した。
「だ・っ・て・お・な・か・す・い・た・ん・だ・も・の」
「キリはね、集中してご飯作ってるんだよ。不味いとカナルが騒ぐでしょう? カナルが満足できるように美味しいの頑張って作ってくれてるんだから、そう焦らないの。それとも、早く食べれれば不味くても良い?」
「嫌」
きっぱり、カナルナータは答えた。きっちり断言する。それを見て、彼・ユファランタは喉の奥で笑った。
「でしょう? 叫んでもよけい状況を悪化させるだけなんだから、おとなしく待とうね」
「ユフは良いじゃない、そーゆー暇つぶしモンがあるんだからっ」
カナルナータが指差すのは、ユファランタが抱える重たそうな冊子。しかしながら、ユファランタは軽々とそれを掲げる。
「ああこれ? まぁね、読んでるとそんなに進んでないのに時間は瞬く間に過ぎ去っていくよ。読む?」
「結構です」
神妙な顔つきで、カナルナータは断った。そんなもの読めやしない。ユファランタは頭が良いし、その本に書かれた分野は得意中の得意、専門だ。しかしカナルナータはそちら方面はきっかり苦手で、それは弟のキリアニルタも同じなのだが、二人とも読んだって意味を理解できない。
「それが読めるのはユフだけ」
「それと、同じ職業の人達」
ね? と頬に笑みを貼り付けるユファランタに、そうね、とカナルナータは返す。髪の色といい眼の色といい、目つきも体つきも頭もまるで違うユファランタが弟だとは思えない。キリアニルタにおいては、カナルナータと同じ黒髪で目つきも似てなくもないのだが、ユファランタは何だ。髪は栗色、眼は細くて少し垂れ気味。姉のカナルナータにも弟のキリアニルタにも、てんで似ていないではないか。そして性格も。
「誰の遺伝なのかしら」
カナルナータは、うーんと首を傾げた。その小さな呟きを聞き止めたユファランタがさらりと答える。
「父上様と母上様とそのご先祖様」
「はいはい」
「そろそろできるんじゃない?」
唐突な話題の転換にぽかんとするカナルナータを尻目に、ユファランタは立ち上がり歩き出す。カナルナータは慌てることなく、まず鼻をひくつかせた。そして漂い来るその匂いに、元気を充填されたのか思い切り飛び上がって駆け出した。
「キっリぃでぇきたぁ?」
「…………」
仏頂面で差し出された椀を受け取り、カナルナータは小躍りで適当に腰を落ち着ける。いっただーきまぁす、と半ば叫んでその中身にかっつきつつ見やると、キリアニルタが二杯目の椀に粥をよそりユファランタに差し出すところだった。彼はというと、カナルナータとは正反対に落ち着きを保っている。弟が自分の分をよそり終えるまで待っているあたり、お人よしだなぁなんてカナルナータは思う。
「キリなんて待たなくっても良いのになぁ」
「兄心です」
「あたしにゃ姉心がないって言いたいわけ?」
「おっしゃるとおりです」
しれっとしてのたまうユファランタに、ぐっと息を詰まらせるカナルナータ。
「へえぇそんな口きいて良いのかしらん?」
「平気です。カナルを倒す自信は百パーセント」
カナルナータはさらに肩を落とした。
「あうぅ〜」
「お代わり、要らないのか?」
「要る!」
救世主のようなキリアニルタの台詞にカナルナータは飛びついた。空っぽになった椀をキリアニルタに向かって放ると、キリアニルタは危なげなくそれを受け止める。ユファランタは笑ってそれを見ている。いつもの光景だ。知らない人が見たらかなり驚くに違いないな、と心の中でほくそ笑むことは忘れていない。
さすがに食べ物の入った椀を放り投げるわけにはいかないから、キリアニルタは近くの地面にそれを置いた。えー取りに行くの私がー? と唇を尖らせてカナルナータは立ち上がる。元の場所に戻るのも面倒なので、その場所でかっくい、再びおかわり! とキリアニルタに椀を突き出した。
「次の目的地、分かってる?」
ユファランタが訊ねてきた。
「え、どこだっけ」
「アッテラ」
「そうそれだ! アッテラ!」
ぽつりとキリアニルタがこぼした正解を、カナルナータがもう一度口にする。ユファランタは頷いて、言葉を繋いだ。
「そこで今、噂になっていることを知ってる?」
「え?」
初耳だ。
「なにそれ」
「それが結構面白いんだよ」
にこやかに告げるユファランタ。
「教えて! 教えなさい!」
瞳を輝かせてユファランタを見つめ、カナルナータはそ知らぬ顔のキリアニルタから粥の満ちた椀を受け取った。