零章 村八分 02
「嫌だね、こういうの」
ぽつりとユファランタがもらし、カナルナータは頷いた。嫌だ、こういうのは。傷ついた弟の治療に手慣れてしまうなんて。絶対に、ないほうが良いことなのに。
それもこれも。
「どうして、お父さんとお母さん、あんなことしたんだろう」
「分からない」
ユファランタが俯きがちに首を横に振る。
「けど、良くないことだって思うよ、息子としてもね」
「私も。何で話を聞いてくれないんだろう」
「子供だから」
「何でよ! ……私達は、何もしてないのに。どうしてあんなことするのよ」
カナルナータは、そっと右腕を押さえる。この辺りに、石をぶつけられた。驚いて動けなかったが、その時は一投で済んだことは喜ぶべきか。痣は、まだ残っている。
「さあね」
ユファランタはあくまで淡々としている。
「他にぶつける相手がいないからでしょ」
「お父さんとお母さんも、逃げて私達に押し付けて何なのよ!」
カナルナータは叫ぶ。家の中にいる限りは、奴らは何もしてこない。要するに姿が見えるから駆り立てられるようだ。姿を見せなければ良いのだが、そうすると生活が危うい。食料はいつまでも保つわけじゃない。いつか、尽きる。
そうしたら。
「どうするのよ……」
「さあね」
さすがのユファランタもうんざりしているようで、肩まで伸びた栗色の髪に手を絡ませた。ぐしゃり、とでも音がしそうな動作。キリアニルタは半分まぶたを閉じたまま微動だにしない。カナルナータは目を瞑った。このままキリアニルタが心を閉ざしてしまったらどうしよう、とふと思い浮かんで愕然とした。
突然、外が騒がしくなった。ユファランタが顔を上げる。
「何だろう」
緩慢とした動きで立ち上がり、カーテンの隙間から外を窺ったユファランタは、振り向くとカナルナータを手招きした。キリアニルタのほうは手で制する。
「キリは動かないで。傷に障るよ」
言葉ではそう言うが、その光景がキリアニルタにとって良くないことだから止めたのだろう、ということがカナルナータには分かった。
「どうしたの」
「できれば、驚いてほしくない」
「何よ」
ユファランタと位置を入れ替えてカナルナータは外の光景を見た。その瞬間、ああ、キリに見せなくて良かった、と心のどこかで安堵した。
両親がいた。
二人は、死んでいた。
「ね、かなり凄い状況だよね」
茶化すようにユファランタが言う。その裏で、彼がかなり動揺しているのが見てとれた。ユファランタは、不安定になるとテンションが異様に上がるのだ。おそらくそれで無意識に誤魔化しているのだろう。
カナルナータは、ぴしゃりとカーテンの隙間を埋めた。その状態のまま静止する。視界を塞いでも、さっきの光景がちらついて離れないのが辛かった。
仰け反った母の胸から突き出したナイフの刃。
剥き出しになった父の背に残る赤い火傷の跡。
命の剥離した人間の形の肉塊が二つ、車に載せられていた。それが、意気揚々とした男によって運ばれている。死体は驚愕の表情を顔に貼り付けたまま何も言わず、周囲の生きた人間達が歓喜に沸いている。
「無理だね」
「え?」
突然のユファランタの言葉に、カナルナータが声をあげる。振り向いて目線で意味を問うと、ユファランタはやはり楽しそうに、しかし淡々と言葉を繋いだ。
「ここで暮らしていくのは、無理だね」
「……そうかもね」
でもどうしよう?
「ここを出ようか」
いとも簡単そうにユファランタが言い放つ。カナルナータは返す言葉がなかった。ユファランタはとつとつと続ける。
「ここにいたって、無駄に死ぬだけだと思うよ。だったら外に出て可能性を探してみよう」
「でも、私達は……子供だし」
「それでも、できることはあるよ」
ユファランタはドアノブに手をかけて、ごくごく小さな声で呟いた。
「家を出る準備をしよう。キリも。カナルも。まずは、自分の荷物を纏めてこよう」
それには、有無を言わさぬ力が籠っていた。
そして、その日のうちに兄弟は家を出た。
数日間は家から持ち出した食料で食い繋ぎ、町に着くとカナルナータの持参した小物を売って金を得た。上手く仕事をして金を得た。決して汚いことには手を出さず、一部の人々からは信用を得た。
カナルナータにとって一番心配だったのがキリアニルタの気持ちだ。村の人々からあんな扱いを受けてまで彼女の家まで行ったキリアニルタだ。彼女の元を離れるということに猛反対するのではと思っていたのだが、反してキリアニルタは静かだった。ただ、心ここにあらずといった様相でいたから、余計質が悪いのかもしれない。
ぼんやりと突っ立っている弟を見て、カナルナータは心の中だけでごめんと呟いた。