〈殺し屋〉綺羅
永久の悲しき祈り
-Eternal gold, Eternal pray-
陽光が差し込む、明るい森の奥。俺達は其の白い建物を見上げていた。
俺は風上圭太。不登校になった高校生だ。今は、彼女と旅をしている。
其の“彼女”――名前は、綺羅。髪の色は鉄色。眼は、右眼が紅く、左眼が蒼い。彼女は〈殺し屋〉と呼ばれる能力者で、瞳の色は其の能力の象徴だという。綺羅が持つ、感情を視ることができる眼のことを、“想視眼”という。
差し込む明るい陽の光で、綺羅の鉄色の髪が輝く。其れは、何処か金属めいた冷たさを持っていながらも、酷く俺を引き込もうとする。風は全く吹いていない。其れなのに、綺羅の髪がふわりと揺れたように見えた。
綺羅は俺のほうを向いた。穏やかな表情をしていた。彼女がそんな顔をするのは、珍しい。何かがあったのだろうか。
経験からそう考えていると、綺羅がゆっくりと口を開いた。
「此の中に、能力者が居るわよ」
そうして、細い指で白い建物を指差した。
冒頭で記述したように、森の奥とはいっても、とても開けている。人は来なく、用はないはずなのに、人々が充分宴会などを開けるほどの土地があった。
其処と、森の木々との境目に、建物が建っていたんだ。
白く塗られた壁。形は底辺が正方形の直方体。四方に窓があり、どれもステンドグラスがはまっている。色鮮やかな花々や、白い衣服をまとった女性が祈っている様子が描かれているステンドグラスだ。赤い三角屋根の上には、金色に輝く小さな十字架が一つ。高さもそんなにない、小さな建物だった。
其処に能力者が居ると、綺羅は言う。人の気配は、俺には感じられなかった。
「でも居るわ。感じるもの」
綺羅がつん、としながら言った。どうせ俺は凡人だ。
「人なんて全然居ないぞ? 何食べてるんだ?」
「私じゃなくて、本人に訊きなさいよ」
俺は溜め息をついた。同時に、綺羅も溜め息をついていた。其れに気付いたとたん、綺羅はぐっと不機嫌になり、「行くわよ」と言ったと思うと歩き出していた。
待てよ、と言っても待つわけがない。彼女はそういう女だ。
俺は無言で後を追った。
綺羅は遠慮なんてしないで、其の建物の扉を押した。ギイイ、と重たい音がして、扉は開いた。さっさと中に入った綺羅に続いた俺は、すぐに立ち止まることになった。
綺羅が、足を止めていた。
「……どした?」
小声で訊くが、綺羅は振り返りもしない。厳しい表情で、前を見ていた。其処には、
正座して、うつむく少女が一人。
ステンドグラス越しに室内に入り込む光で、髪がきらきらと光る。色は金。透き通るような細い金色をしていた。それが、背の中ほどまである。年齢は俺達とあまり変わらないようだった。そでがなくスカートが長い、白い衣服をまとっていて、それはステンドグラスの祈る女性ととても酷似していた。
何者なのだろうか。そう考えていると、
「誰?」
そう言って、少女が顔を上げた。金の髪がさらさらと胸元へ流れ、薄い青空の瞳が俺達をとらえた。焼けていない肌といい、色素の薄い少女だ。細く、何処かへと消えてしまいそうな印象を、俺は持った。
比べて綺羅は、此の少女と同じように白い肌をしているが、儚いとは感じない。其れは、おそらく眼の色のせいだろう。綺羅のは色が濃い上に、右と左で色が違う。強烈に強い印象を与えるはずだ。
そんな綺羅が、一歩進み出た。
「私は綺羅。こっちは圭太。訳あって旅をしてるんだけど、途中に建物があったから寄ってみたの」
「……それは。ようこそ、いらっしゃいました」
金の少女は立ち上がると、深々と頭を下げた。そして名乗った。
「私の名前は、ラファ。ラファと申します」
「ラファ、ね」
綺羅が頷いた。と思うと、少女、ラファに歩み寄り、彼女の左手首をぐっと握った。それはとても友好的とは言えない握りで、放さない、という強い意志を感じさせるものだった。
俺は危機感を覚えた。綺羅は何かをしようとしている。
「綺羅……!?」
「動かないでよ」
という彼女の台詞は、俺に向けられたものではない。ラファに向けられたものだ。ラファはおとなしく、動こうとはしなかった。口を開く。
「何ですか?」
「白を切らないで」
綺羅が不機嫌そうに、きっぱりと言う。ラファの瞳には、こんな場面であるはずの、驚きも恐れも無かった。代わりに、何もかも分かったような色が浮かんでいる。それで居て、何も知らない振りをしている。意味が分からない。
ラファは薄く笑った。其れは嘲笑ではなく、かといって、悲しんでいたり、そういう感情でもないようだ。ただ、何処か嬉しそうな表情をしている。しかしそれが全面に出てきているわけでもなく、結局は何も読めなかった。
おそらく、綺羅には彼女の感情が分かっているはずだ。なんたって“想視眼”を持ち、感情を視る女だ。分からないはずがない。
「白を切るって、何のことかしら?」
「とぼけないで」
二人の女の間で、火花が散った。見ているこちらがハラハラする。ラファは何を考えているか分からないし、綺羅は怒ると――むしろキレると――手が付けられない。何が起こるのか。正直、怖い。
先に折れたのはラファのほうだった。
「つまり、私にこう言ってほしいわけね」
そう言って、ラファは綺羅を見た。
「貴女は能力者。私も、――能力者」
俺は息をのんだ。此の少女が、能力者。
驚いて綺羅を見ると、綺羅は不適な笑みを浮かべていた。
「そう。貴女は能力者よね。私が誰だか分かる?」
「ええ、もちろん。有名ですもの」
と、ラファもすまして答える。彼女は左手首を凄い力で握られているはずなのに、其の苦痛は一切顔に出ていなかった。
「綺羅さん、でしょう? 〈殺し屋〉の」
「良くご存知で」
ハァ、と綺羅が息を吐く。諦めたような、という表現は正しくない。呆れたような、でも何処か感心したような溜め息だった。
「じゃあ、私が何のために此処に来たのかも、分かるわよね?」
色の違う瞳で、じっと、ラファを見つめる。冷たい瞳だった。しかし、ラファは動じずに、綺羅を見返した。そして、淡々と答える。
「私を消すため」
どうして、此の少女はあっさりとこんなことを言えるのだろうか。俺だったら、情けないけど、とても恐ろしく、ガタガタブルブル全身で震えて、言葉になっていない言葉を発するだろう。本当に情けないが。けれど、其れが正しいはずだ。本当の自分を見つめるのは良いことだ、と俺は自分に言い聞かせた。
「分かってるじゃない」
綺羅が危険な瞳で辺りを見回す。彼女の能力を発揮するために必要な“棒”を探しているのだろう。しかし、ラファにとっては良い事に、綺羅にとっては悪いことに、其処には棒は無かった。綺羅はむっとしながら、ラファの腕を引いて歩き出した。
「お、おい……」
「来なさい」
綺羅は今、とても、とても不機嫌なようだ。此処で逆らうと、後々えらいことになる。俺はおとなしく従った。本当、情けない。
歩く綺羅についていくと、小さな部屋があった。横に長い。其の中に、ベッドやらたんすやら、生活用品が詰め込まれている。正直言うと、狭い。
だが、綺羅はそんなことは気にせず、ベッドにふわりと陣取った。
「其れ、ラファさんのじゃないのか……」
「良いじゃないのよ」
「ラファさ〜ん……?」
「良いんですよ」
俺が困って見ると、ラファは微笑む。其れを見た綺羅が胸を張る。
「ほら、ラファだって良いって言ってるじゃないのよ」
此れは、俺の完敗だ。引きずっていたくはないから、俺は綺羅に催促した。
「で、どうするんだよ?」
「何が?」
綺羅が不思議な笑みを浮かべる。得意そうな、偉そうな、怖いものはないというような、不敵な、すっとぼけたような、……しっくりくるのが浮かばない。一番近いのは不敵な、で、すっとぼけたような、とか他のがくっついている。そんな感じの笑みだった。
俺が黙っていると、綺羅はさっき『何が?』とか訊き返してきたくせに、質問を開始した。
「貴女は何の能力者?」
「ずばりきますね」
ラファは微笑む。どうくるかと俺が身構えていると、ラファはすんなりと答えてしまった。
「私は〈神官〉ラファ。天使の加護を受けし者」
厳かに言うと、綺羅が質問を重ねる。
「どの天使?」
「癒しの天使・ラファエルよ。此れで私の能力も、分かるでしょう?」
俺は綺羅を見た。綺羅はラファを見ていた。何でもないことのように綺羅は回答した。
「ええ。〈ラファエルの神官〉……、別名〈癒す者〉。能力はそのまま、“治癒”」
「よくお知りですね」
つい先ほども似たような台詞を聞いたような気がする。思わず眉をひそめ、綺羅にきっ、と睨まれる。どうしてだろうか。俺は何かいけないことでもしたか? してないだろう。
「……。どうして貴女は此処に居るの?」
綺羅がきつい目つきのままラファに問う。ラファは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに細め、遠くを見るような瞳になった。過去を探っているのだろうか。
「……私は、人々から迫害を受けた」
「え……」
俺は声をあげる。
「小さな頃から、私は天使の加護を受けていて……制御ができなかったから、傷に触れただけで、小さなものだったら其れを完治させてしまった。私は其れを皆のために使いたかった……けど、村の皆は、逆に私を気持ち悪がって……村はずれの森に小さな教会を建てて、其処に住まわせた。教会とはいっても……誰も来ない。ひとりぼっち」
「何だよそれ……!!」
酷く理不尽だ。ラファには何も悪いところは無かった、なのに普通と違うからって差別して、隔離するなんて。ハンセン病の患者も、似たような待遇だったと記憶している。変わらないではないか。激昂しかける俺とは対照的に、ラファは静かに言葉を紡いでいった。
「私は此処で、独りで過ごしてきた。食べ物とか、必要なものは森の入り口にぽいって、置いてあったから其れを食べた。それ以外は、ラファエル様に祈る日々。友達は、森の小鳥や動物達……。彼らも、私が十五歳を過ぎたら、来なくなってしまったけれど」
悔しくなった俺は、歯軋りをした。ぎり、と奥歯が鳴る。あごが痛くなるが、それよりも。ラファの待遇は何だ。癒しの巫女にだってなれたかもしれない。それなのに、これは……。
酷い、酷いのではないか。そして、ラファの“友達”は、どうして来なくなったのだろう。
「きっと、人間が――村の人達が――森の動物を狩っていったからね。だから、私を恐れた。私も、同じ人間だから……」
「違うわ」
と、唐突に綺羅がきっぱりと言った。
「どういうことだよ?」
「彼らが貴女の元に来なくなったのは、貴女が人間だからじゃないわ」
「え?」
「は?」
俺とラファの疑問詞が重なる。綺羅は言う。
「貴女は天使に仕えている。それでも、十五歳までは“こちら”の眷属なのよ。それが、十五歳になった。完全に、神の眷属になってしまったのよ。だから」
神の眷属だって? それはつまり、ラファも神様の一人ってことか?
「ちょっとまって、私が神の眷属って……私は人間よ、天使に仕えてはいるけど神自体じゃないし、え、ええと」
「天使に仕えていれば立派な神の眷属よ」
と綺羅は断言した。
「天使は天の使い、神の使い。神の使いは神の眷属。その神の眷属に仕えていれば、仕える者も神の眷属よ」
でも、どうして十五歳なんだ?
「子供としての時を終えるのが、十五歳なのよ。子供でもないし大人でもない、けれど子供でもあり大人でもある、そんな複雑な年。子供だから大人よりも新たな環境になじみやすいし、大人だから子供のよりも理解力がある。若い神になるにはもってこいの時期なのよ」
よく、分からないけど、綺羅が言うならそうなのだろう。兎に角、ラファは神様なのだ。綺羅が言いたいことは其れ。こんな難しい事も、綺羅に言われると妙に納得してしまう。自分の意思がないのか、と自分でも思ってしまう。どうなのだろう。
綺羅は簡単に説明をしたつもりらしかった。軽い表情でラファに向いて、同意を求めた。
「そうでしょ、〈ラファエルのプリースト〉」
「そうかも……しれませんね」
ラファは薄く笑った。
「きっと、そうでしょう。私は独りです。永遠に、独りでしょう。けれど、私は祈り続けます。独りで、祈り続けます。ラファエル様に。其れは永遠に続くでしょう。でも、私は其れでも良い。私は、私の正義を貫き通します」
正義って何なのだろうか。話を聞いていた俺は唐突にそう思った。ラファは正義を司るラファエルの加護を受けているという。なら、その“正義”とは、一体、何なのだろう。差別しないことだろうか。多くの人のためになることだろうか。
俺には難しすぎるのだろうか、答えは見つからない。
「訊いても、良いですか」
静かに、ラファが問う。綺羅は答えない。ラファも綺羅の答えを期待していたわけではないようだ。返事を待たずに続けた。
「貴女は何故、能力者を探しているのですか?」
当然の質問だ、と俺は思った。今まで其の質問が出てこなかったのが不思議なほどだ。それを、ラファはやっと口にした。綺羅はすぐには答えない。しばらく考え、意を決したように話し始めた。
「……私の両親は、私を捨てた」
其の後の綺羅の話は、前にも聴いたことがあった。どうやらあれは、事実らしい。実際にあった、悲しい話のはずなのに、綺羅は淡々と話す。いや、むしろ……悲しみを隠すために、無表情でいるのかもしれない。そうであっても、おかしくはない。
「だから、私は彼を探し出すために、能力者を探している。彼も能力者のはずだから……」
綺羅はそう話を締めくくった。じっと静かに聴いていたラファは、綺羅の話が終わると同時に、涙をこぼした。やわらかな頬に、涙が筋を付けていく。綺麗な曲線を描いた水滴は、そのままあごへと伝わり、滴り落ちた。
「どうして、泣くの」
「悲しいからです」
綺羅の問いに、ラファは即答した。
「貴女は、辛い目にあった。だから、幸せになろうとしている。なのに、なれていません」
ラファの眼は本気だった。
「不公平です」
「言っとくけど、私は別に幸せになろうとしてなんか……」
「しています」
ラファの語調が強まった。断言する。
「貴女は幸せを求めている。だからこそ、貴女は圭太さんといる。そうでしょう?」
突然俺に話がふられ、俺は慌てた。綺羅は幸せになるために俺といるだって? 確かに俺と綺羅は彼氏と彼女っていうことになってはいるが、それ以上のなんでもない。唇を重ねたわけでもないし、寄り添って夜を過ごしたわけでもない。綺羅はおそらく、其れを拒否するだろう。それを分かっているから、俺もそうしようとしない。
むしろ、求めているのは俺だ。本当は綺羅を抱きしめたいし、キスだってしたい。けれど、綺羅が嫌がるのなら、俺はやらない。そう思っている。
其の時、俺はまだ知らなかった。
綺羅の本当の気持ちを。
綺羅がラファを見ようともしないから、俺が別れの挨拶を述べた。
「話が聞けて、良かったよ」
「こちらこそ、ありがとうございました。良かったら、また来てください」
ラファも優しく笑った。だが、俺達が再び彼女のもとを訪れることはないだろう。一度去った場所には来ない。其れが、綺羅の基本的な行動の一つだ。また来てくれることを願うラファには申し訳がないような気がしたが、俺は頷いた。そうして歩き出した俺達の背で、ラファの前で、扉は閉まった。
風が吹いた。爽やかな風だ。涼しげに木々の葉を揺らし、明後日の方角へと去っていく。
それはまるで、独りで祈り続ける、あの少女のようだった。
「案外、そうかもしれないわよ」
唐突に、綺羅が言った。
「ラファが、私達を送っているのよ。例え外に出ることができなくても、私に殺されそうになっても、彼女は彼女の“正義”を貫き通す……」
彼女の、ラファの“正義”とは、一体何だったのだろうか。そんな疑問が頭をよぎったが、もうどうでもいい。今の俺になら、なんとなくだが分かる気がする。ラファの“正義”が、迫害を受けてきた少女の“正義”が。
視界の端に揺れる鉄色をみとめ、俺は振り返った。綺羅はすでに歩き出していた。綺羅も振り返ると、俺を見た。
「……行くわよ」
言ったとたん、綺羅は再び歩き出してしまった。俺は苦笑を漏らすと、綺羅に従った。
風が、俺達を包み込んだ。
全 原稿用紙20.6枚相当 文庫15.7ページ相当