〈殺し屋〉綺羅
海上の虹色蜃気楼
-A marine rainbow color mirage-
どうして。
どうして、俺はこんなところで、こんなことをしているのだろうか。
「あっち向いてホイ! あ、ダメじゃん、お兄ちゃん、前向いてちゃー」
分からない。
「ホント、ダメダメね」
……分からない。
俺は風上圭太。不登校の高校生だ。というか、高校はやめてしまった。人付き合いが苦手だし、なにより勉強が分からなかったからだ。だからと言って必死に予習復習するほど勉強が好きなわけでもないし、友達がいるわけでもないし、好きな人がいるわけでもないし。やめた。
そんな俺が今こんなところにいてこんなことをしているとは……俺のことをよく知っている人が見たら、絶対に奇妙に思うに違いない。思わなかったら、そう、例えば平然としていたり、優しいお兄ちゃんだなとか関心したりしていたら、それは俺を知らないやつってことだ。絶対。もう、これは断言出来るね。
俺は俺の前にいる少女をちらと見下ろした。栗色をした髪を、高い位置で二つに結っている、幼い少女。お世辞にも背の高いとはいえない、どちらかといえば低い俺が見下ろせるほど、少女は小さかった。まあ、当然だろう。七歳、八歳、それぐらいだろうか。多くても十はいっていないというのが、俺の見解だ。
少女の名はミム。美しい夢、と書くらしい。珍しい名前だ。
高校をやめた俺は、今、旅をしている。一人ではない。綺羅という女と一緒だ。綺羅は俺の一応彼女で、一応というのは、まあ、一応だからだ。「愛してるー」なんて言葉を言ったこともなし。半ば強引だった。でも、俺は彼女が好きだから、こうしている。
綺羅の髪は鉄色で、右眼が紅く、左眼が蒼い。“想視眼”という眼を持つ、能力者。気まぐれで、自分勝手で、頭がよくて。時々照れたような表情が、可愛くて。
そんな彼女が、俺は好きだ。
目立ったアプローチなんかはしていない。ただそばにいるだけで、まだ充分だ。そう思っている。
俺達は、ある町に立ち寄った時、ある噂を聞いた。
『太陽が虹色の光を放つ時、海にゆらめく島が生まれる』
それを、何の根拠があってか綺羅が“能力者がいる”と解釈した。自信満々に言った彼女は、早速舟を手に入れると、俺を強引に舟に乗せて海へと出発した。
そして、運が良かったのか悪かったのか。噂の島はすぐに見つかり、上陸した俺達が出会ったのが、少女・美夢だったのだ。
美夢が一人で住むその島にしばらく滞在することになった。美夢が住んでいるのは大きな屋敷で、食料も多種豊富、欲しいものはすぐに手に入る。不思議な島だった。外界と隔絶されているはずなのに、なんでもある。尽きることがない。
綺羅がどうするつもりなのかは分からない。美夢はおそらく、能力者。綺羅は能力者を滅ぼすために旅をしている。彼女自身も能力者だ。だから、彼女も最後に死ぬのだろう。それまでに綺羅は能力者を全て殺すと、以前断言した。だから、美夢も殺されるのかもしれない。美夢はそれを知らない。綺羅が知らせるわけもない。
美夢は幼い。だからか。だが、この数日間、俺達は彼女のわがままに付き合わされている。もちろん、俺達というからには綺羅も入っている。俺はそろそろ疲れてきたが、綺羅はどうなのだろう。そろそろ堪忍袋の尾が切れやしないかとひやひやしているのだが、それが杞憂であるかのように彼女は振舞っている。美夢のわがままに、嫌な顔一つせず付き合っている。
本当に、どうする気なのだろうか。
美夢は唐突だ。あれをしていたかと思うとこれをする、ああ言ったかと思うとこう言う。
例えば。
「つまらないね。オードリー・ヘップバーンって知ってる?」
何だいきなり。俺が唖然とすると、美夢は俺の腕に抱きついてきた。
「『ローマの休日』見よう? あるから!」
完全に彼女のペースだ。というか、何故美夢のような少女が『ローマの休日』を知っているのか。美夢のような幼い少女が、だ。もしかして、能力者は誰も彼もが不老なのだろうか。だから色々なことを知っているとか。だが、だったらもっと大人げのある物言いをしてもいいかもしれない。
よく分からない少女だ。うん。まあ、子供というのはそういうものなのだろう。女ってものもよく分からないもんだけどな。
思考をめぐらせているうちに、俺と綺羅は美夢に連れられ、大きなスクリーンのある部屋へ。
結局、俺達は三人ならんで『ローマの休日』を鑑賞した。何を言いたいのかよく分からないアニメ版のビデオだった。こんなものがあったとは。謎だ。
突拍子もないことを言い出すことがある。今もそう。本当に突然だ。
「ネネコは空を飛ぶよ!」
「ネネコって誰だ?」
俺が訊くと、少女はえっへんと胸を張った。
「ネネコはね、お友達なの! お兄ちゃんとお姉ちゃんにも、特別に会わせてあげる。特別だよ?」
特別、という言葉をやけに強調して放った美夢は、俺と綺羅を、初めて訪問した時に「入っちゃダメ」と念に念を押して禁止した、彼女の部屋へと連れて行った。あの発言はなんだったのか、と思うぐらい、俺達はすんなりと部屋に入ってしまった。良いのだろうか。
「ハイ、ネネコでーすっ!」
と、嬉しそうににっこり笑って、少女が両腕を突き出してきた。面食らって俺は一歩後ずさる。美夢の手には、人形が握られていた。その背にはネジがあり、その左右に白い羽根が生やされていた。それが羽ばたくのかもしれない。
ネネコって、人形の名前だったのか……。
脱力する俺をよそ目に、美夢は人形の背にあるネジをギーッ、ギーッと回した。そのまま空中で手を離すと、羽がギギギギ、と機械特有の音を発しながら動いた。人形ネネコは、しばらく宙に留まり、約十秒後に床に落ちた。俺の予想通りだった。
ネネコは空を飛ぶのだ。美夢の言ったことは、正しい。空じゃないが。
現在、俺と美夢は言い争っていた。部屋にある謎の物体についてだ。俺は帽子に見えたからかぶってみせたのだが、美夢は違ったらしい。
「だから、かぶっちゃダメだってば! 履くの!」
「もしかして、これは靴下か?」
「そうよ!」
「これは靴下とは思えない!」
「帽子でもないでしょ? 平気!」
「……烏帽子っぽく見えるのは俺だけか?」
「えぼしってなーに?」
疑問をぶつけると、美夢は無邪気に訊いてきた。烏帽子を知らないのか。
「んーとだなー、平安時代に貴族の男性がかぶっていた帽子」
「わかんなーい!」
よく考えもせずに諦めるな。
「うわあーん、お兄ちゃんがいじめたー」
いじめたも何も。ないと思うが。泣いていないし。半分笑っているし。
しかし綺羅は、俺ではなく美夢の味方をした。美夢の髪を優しく撫でながら、
「圭太、貴方年上なんだからもうちょっと気を使いなさい」
「気を使うって……」
俺は正当なことを言ったつもりだったんだが。
「正当なこととか言ってる人こそ、間違ったこと言ってたりするのよ」
きっぱり言われてしまうと、反論の術がない。
「○ブン・イ○ブンのバイトさんだって、貴方よりもっと気が利くわよ」
待て、その例えは、バイトの人が可哀想ではないか。まるで、気が利かないみたいに言われて。綺羅こそ、気が利かないんじゃ。
しかし、ここで反論してしまうと。
今までの経験などからはじき出した答えは、『不毛な戦いは避けろ』。
とりあえず、遠慮なく綺羅が吐き出した言葉は、一部伏字にしておくことにする。
「何格好良いこと言ってるのよ」
と三白眼で睨んでくる綺羅だったが、俺はふい、と無視した。受け流すというやつか。綺羅と出会って、これは鍛えられたと思う。たぶん。
美夢の腹から、グゥーッ、という音が聞こえた。その直後、俺の腹もググゥーッ、と鳴った。そういえば、今朝起きてから、何も食していなかったのだ。腹が減るのも当然だ。少女が羞恥心からか顔を真っ赤にして、俺を見上げた。
「お腹空いてない?」
「空いてる、かな」
「何か食べない?」
俺が曖昧に答えると、少女は綺羅に話を振った。壁に寄りかかって平然としている彼女は、そうねー、と指をあごに当てて、数秒考える素振りをし、
「なんか、ワンタンが食べたいわね。ワンタンメンって、此処には無いの?」
少女も少し考えたのち、頷いた。
「ある。あるよ! ワンタンメン。ついてきて!」
言うなり、少女はすたすたと歩き出し、綺羅も続いた。俺は一人取り残される形になった。そうとう腹が減っているらしく、再び腹が悲鳴をあげる。一瞬、どころか相当反応が遅れはしたが、食事をしたくないわけじゃない。むしろ、何か食べたい。でないと、胃がもたないだろう。
そう判断した俺は、急いで少女と綺羅の後を追った。
たどり着いた食堂は、幼い少女が一人で暮らしているとは思えない綺麗さだった。実は、家政婦か誰かがいるのではないだろうか。ゴミなんて落ちていないし、食べ残しもない。食器も綺麗に洗ってある。何度見ても、驚きは絶えない。
しかし、美夢は一人暮らしだという。
美夢はカップのワンタンメンを三つ取り出した。手際よく湯を用意すると、躊躇いなくざっと注ぎ、ふたを閉め、
「ぷりーず・うぇいと・すりーみにっつ!」
と言う。Please wait three minutes. ということだろう。英語を知っているにしては、発音は、あまり良くなかった。
ワンタンメンの食事を終えて、綺羅が唐突に言った。
「そろそろ、帰りましょうか」
「帰るの?」
と、美夢はとても残念そうに首を傾げた。綺羅はかがみ、少女と目線を合わせる。
「そう。ごめんなさいね」
「ううん、お姉ちゃん達、外の人だもんね」
首を横に振った美夢は、部屋の外へと出る扉へ向かった。
「外に出る、面白い道教えてあげるね」
言うと、一人歩き出す。綺羅が追いかける。俺も、追いかける。
長い廊下を歩き、急な階段を上り下りし、時に部屋を横断しながら、少女が案内したのは、広い庭。そこにあったのは、長い長いすべりだい。何処に向かっているのだろうか。しかも、ぴかぴかかちかちに凍り付いている。その名も。
「氷結すべりだいで〜す!」
まんまやないか。
俺はビシッと突っ込みたくなった。だがやめた。以前やろうとしたら、彼女に睨まれたことがあるからだ。彼女、というのは綺羅である。以降、俺はあまりそういう突っ込みをしなくなった。
何故此れだけ関西風なのかはあえて気にしない。
「これを滑っていけば、外に行けるよ」
「ねえ」
と、再び綺羅が視線を合わせる。
「美夢は、外に出る気はないの?」
「ないよ」
美夢はきっぱりと即答した。
「お父さんとお母さんの暮らした島だもの。ここを見捨ててはいけないよ」
「そう……じゃあ、お別れね」
綺羅は立ち上がる。美夢が見上げる。綺羅は最後に、美夢の栗色の髪を撫でた。ゆっくりと、優しく、いとおしむように。
「本当に、行っちゃうんだ」
「ええ」
「また、来てくれる?」
「それは、分からないわ」
美夢が俺を見る。俺にも尋ねているのだ。俺はこう答えた。
「もし、機会があれば」
「機械があれば来れるの?」
「ああ」
その時は気付かなかったのだが、美夢は機会を機械と勘違いしていた。だが会話としては成立している。だから、良い。
「じゃあね」
綺羅は少し名残惜しそうにしながらも、滑り台に座った。頷き返す美夢をちらと見やると、さっさと滑っていってしまった。俺の番だ。俺も、行かなくてはいけない。
「美夢……」
「またね、お兄ちゃん。楽しかったよ」
言った美夢が、直後はっとすると、自分の髪に手をやった。どこからか取り出した小さなナイフで、その栗色の髪を一房、さっと切り取る。それをぎゅっと握った手を、ぐいと俺に突き出す。
「あげる。お兄ちゃんに」
「俺に……?」
「うん。ほんとは、ネネコをあげようかなって、思ったんだけど、邪魔かもしれないから」
「良いのか?」
「うん。お姉ちゃんの分も」
と、もう一房。俺は受け取った。日の光が透けるようだ。俺は、さっき美夢がしたみたいにぐっと握り締めて、一つ頷く。
「元気でな」
「お兄ちゃんも。お姉ちゃんに、よろしくお伝え下さい」
美夢が頭を下げる。どこか強引だ。まるで何かを振り切るかのように。きっとそれは、悲しみだ。せっかく来てくれた客人に、それは見せられない。だから、頭を下げているのだ。
「美夢」
呼びかけると、少女の肩がぴくりと震える。俺はポケットから一枚、ハンカチを出した。使わずに残った、一枚のハンカチだ。赤地に緑の線が格子柄に入っている。これなら美夢も気に入るだろう。
「やるよ。美夢が大切なものをくれたから、俺もお返しをしなくちゃな」
「うん」
少しだけ頭を上げると、少女は手を伸ばして、俺のハンカチを受け取った。それを胸元にかき抱くと、消えそうな声で。
「じゃあ、さよなら」
「ああ」
身体が滑り出す。
「いつか、また」
遠くなっていく美夢の姿は、まだ頭を下げていた。
色々なことがあって、まだ頭の中が混乱しているようだ。綺羅はいつもと様子が違うし、美夢は勝手にことを進めていく。それらに振り回される俺は、不甲斐ないのだろうか。
「なあ、綺羅」
島を出て舟に落ち着いた俺は問いかけた。オールを漕ぎながら、綺羅が、ん? と小さく振り向く。
「どうして、美夢を放っておいたんだ?」
「まさか、……貴方、私があの娘を消すとでも思っていたの?」
呆れたように問われ、だんだんと顔が火照ってくるのを感じた。俺が頷くと、はじけるような笑い声が響き渡った。綺羅が爆笑し始めたのだ。顔が滅茶苦茶熱い。真っ赤になっているだろう。俺は半分うつむいて、否定できずにむすっとしていた。
「私が! あの娘を! そんなの、古今東西聞いたことがないわよ!」
聞いたことがない? 古今東西? あるわけがないじゃないか。だって、綺羅とあの少女とは、数日前出会ったばかりだったのだし。それ以前に出会っていれば、おそらくその時に言っているはずで、それならば聞いたことがあるはずだが、そうではないのだから、聞いたことがあるわけがない。
「それ、屁理屈よ」
という綺羅は、まだ笑っている。
「そんなわけないじゃないの!」
と綺羅は主張するのだが、今までの綺羅の言動を見てくるとそうとも思えない。綺羅は能力者に出会うと、いつも消そうとしてきた。なのに、今回だけは『あり得ない』というのだ。
いったい、何なんだ。
「兎に角、あの娘はまだ放っておくわ」
いつ気が変わるか分からないけどね、と綺羅が浮かべるのは妖艶な笑み。
「だって、あの娘が何をできるというわけでもなし。それに、私が復讐したいのはあの娘じゃないし」
て。今まで消してきたのは何なんだ。復讐したいのはとか言うけど、今までの全部復讐だったわけがないだろう。
「ま、気まぐれよ」
そう言うと、綺羅は再び前を向いてしまった。これは、これ以上質問を重ねるなという綺羅の意思表示だ。それに反すると後で酷い目にあう。俺は黙った。
この綺羅の気変わりはなんなんだろう。
疑問だらけの出来事が、終わった。
その疑問は、いまだ解決されていない。
Fin