第壱章 02
「ネームプレートだよ。部屋の扉の傍に掛かっているでしょう? ――お隣さんなんだけどな、私とアナタタチ」
そう言われて、クリスは記憶を探った。確かにネームプレートは存在する。しかし部屋主が登校するまでネームプレートは掛けられず、クリスとマリアの隣室には今朝までそれが掛かっていなかった。ということは、今日やってきたばかりということか、とクリスはそこまで推測した。
「お隣さんにご挨拶、というところ?」
「まあね、それもあるのだけれど」
そこで鈴音は少し溜めを作った。
「名前が素敵だった、というのがあるかな。日岡玖璃栖に日岡眞里亞。双子かと勝手に思っていたけれど、そうではないみたいだね――でも二人とも、綺麗な髪をしているね、珍しいよ」
自分の髪を褒められても大して嬉しくないが、マリアを褒められたことに関してはクリスも悪い気はしない。マリア本人はきょとんとしていたが、クリスは素直に礼を述べることにした。
「ありがとう」
「どういたしまして」
悪びれた様子もなく鈴音も返す。二人で座っていたベンチの上で身を寄せると、一人分のスペースを作って鈴音を誘う。
「座る?」
「なら、お言葉に甘えて」
鈴音は遠慮なく、クリスの隣に腰を下ろす。クリスはそれをじっと観察する。隣室ということは同い年のはずなのだが、彼女はクリスやマリアよりも大人びて見えた。側頭部で結った二房の黒髪が、少しばかりの幼さを漂わせてはいる。猫の金目を思わせる瞳だな、と思っていると、その眼がくるりとクリスを向く。どきりとしながら様子を窺うが、彼女からは嬉々とした感情以外何も読み取れなかった。それは決してクリスが鈍感なわけではなく、彼女は隠すのが上手いらしい。
何を隠したいのだろう。
「キミがクリス君? 呼び捨てで良いかな?」
「構わないけど……」
「じゃあクリス。私のことも鈴音で良いよ」
「あ……ああ」
態度を決めかねて曖昧な対応をしていると、鈴音はぱっとマリアに目をやり、言う。
「マリアちゃんはマリアちゃんで」
「ちょっと待て、俺には呼び捨てでどうしてマリアには“ちゃん”を付ける?」
「んー、マリアちゃん可愛いから。良いかな?」
「理由になってないっ」
思わず反論を続けるクリスを無視して、鈴音がマリアに問う。マリアは平然とした表情で首肯する。鈴音は満足そうに笑んだ。よく笑う娘だ、クリスは非難するように呟いた。
「さて、お二人はどこの出身かな? 名前からするとムルサかな?」
「良く分かるな……確かに俺とマリアはムルサの出身だよ。……一応ね」
「一応って?」
「孤児院出身だから。実際は違うかもしれない。育ったのはムルサ」
「ふーん……私はテリアル。知ってるかな? テリアル」
ここロムテ連邦国は小国が集まって形成している国だ。その中でも強国であるのが、ロート、ムルサ、テリアルの三国である。ムルサ出身のクリスでも、ロムテという共同体に身を置くからにはテリアルの名を知っていた。
各国に名を馳せるヴィンターゲシュ魔法学校は、その内ロート国内に存在している。ロートは魔法王国であるテリアルと隣接しており、ヴィンターゲシュのことを調べた折にテリアルのことも詳しく知った。
「魔法が凄い国だろう? 皆王様に忠誠を誓っているっていう」
「あはは、ステレオタイプだけどあながち間違っていないんだな、これが」
「鈴音も王様大切?」
「そうだね……大切といえば大切かな、生活基盤を提供してくれるんだもの」
「忠誠を誓うというより、何だか現実的な理由だな」
「そりゃそうだよ、現実はちゃんと見なくちゃね」
鈴音は見た目だけでなく、中身もしっかりしているらしい。当時のクリスの印象はその程度だった。
「でも、テリアル出身ならわざわざヴィンターゲシュまで来なくたって、英才教育を受けられそうな気がするんだけど。どうして鈴音はこんなところまで来たわけ?」
「親の命令さね。確かにテリアルに居ても学べるよ? 魔法術。けれどもね、やっぱり制限があるんだなあ」
「制限?」
「正確に言うなら偏り、かな。ヴィンターゲシュは魔法大国だよ、だからこそ独自に魔法を発展させてきた。そこで学ぶとなると、特化方面というのかな、そういうのができていてそっちばっかり秀でちゃうわけ。分かるかな?」
「うーん……何となく」
正直なところ、今まで身近に魔法があったわけではないため、ましてや魔法大国と称されるヴィンターゲシュの様相など、クリスには想像しようがなかった。ただ筋は通っているようだから、嘘ではないのだろう。