第壱章 01

「来た……ここだよ」
 ロムテ連邦国ロート国ヴィンターゲシュ魔法学校。桜散る校門前に二人は居た。
 赤味の強い金髪を頂く少年はクリストファー・ヴェネーロ。その背に隠れるようにした少女は、透き通った長い銀髪のマリア・ロザリー。寄り添うように立つ二人は、この時未だ二人であった。
 ヴィンターゲシュの緑豊かな庭では、その時候らしい控えめな草花が処々で芽吹き、花開いていた。仄かに漂う春を吸い、既に緊張もほぐれた様子でクリスが続けた。
「うん、俺は気に入ったかな。ヴィンターゲシュ魔法学校。結構綺麗なところじゃないか。なあ、マリア?」
 一方初めての場所に慣れていないため、表情の硬いマリアは、それでもクリスのその言葉に微笑んで見せた。マリアの様子に気付いたクリスは苦笑し、彼女の手を取り構内へと導いた。
 すれ違う人は一人として居ない、寂しい構内。それもそのはず、その日は式の十日前、いくら寮制とはいえ、それほど早くから学校へなど通常は来ない。しかし二人は、二人だけは、この早い時期から寮へ滞在することになっていた。
 行き場がないからだ。
 孤児院は一度崩壊し、新たな院長が就任したとはいえ、警察の捜査は続いており慌ただしい。さらに何より、二人は既に外で教育を受けても申し分ない年齢であり、また一方が戻ることを望まなかった。二人は重要参考人として警察に保護を受けながら、居場所として寮を備えたヴィンターゲシュ魔法学校を選んだ。
 受付を済ませ、少ない荷物を割り当ての部屋に運び込む。二人は希望が通り、同室となっていた。以前は完全寮制だったそうだが、近年自宅通学を望む声が届き、それを受け入れ始めると、老朽化の進みつつある寮へ入る人数は減った。かつては一部屋を三人で使っていたそうだから、二人で使うにはいささか広く感じるものだった。狭い部屋に数人で寝起きしていた二人にとっては尚更である。
「さて……落ち着いてしまった」
 独り言にしては大きすぎる声で、クリスが言った。荷物は整理するほど多くはないし、宿題が出ているわけでもない。途方に暮れたクリスは寝台に横になり、受付で受け取った書類を手に取った。これにも一通り目を通してしまった。ほとんど読むことなくぺらぺらとめくっていると、校内地図が目に入った。それをしばらく見つめ、クリスは寝台に腰掛けたマリアに目をやると、提案した。
「マリア、暇?」
 頷くマリア。
「良かったら校舎を散歩でもしない?」
 マリアは目元を和ませると、再び頷いた。彼女がクリスに次いで立ち上がると、二人は部屋を後にした。


 初日に校内散歩を行ってから、それは彼らの日課となった。それ以外の時間は、宿題は出てはいないけれども勉学に励もう、と配布された教科書や資料を眺めて過ごした。今まで知らなかった世界が目の前に広がるようで、クリスは特に図解を見ることを好んだ。大してマリアは黙々と字の連ねられた教科書を読み込んでいた。
 そんな日々が半分過ぎ、正式入学の五日前と共に、彼女はやってきた。
 ぼちぼちと構内にも人影が見え始めた頃だった。二人はその日の散歩で北校舎裏を訪れ、休憩としてそこにあったベンチに座っていた。クリスはとりとめもないことを喋っていたが、マリアは終始無言でクリスに小さく反応をする程度だった。しかしそれは彼らの通常であり、二人にとってその世界は満ち足りていた。
 そこに割り込んできたのが鈴音だった。
「早く授業始まらないかなあ。楽しみ楽しみ。あと五日かあ」
「クリストファー・ヴェネーロにマリア・ロザリー?」
 それは空気のざわめきを鎮めるかのように鈴の音を鳴らした。近付く気配に気付かなかったクリスはその言葉にはっとし、無意識に身構えた。そんな様子を見て何かおかしかったのか、彼女は笑って続けた。
「そうなの? なら良かった。間違えていたらどうしようかと思った。どうもしないけれど」
 くすくすくす。
「……誰?」
「ヒサギスズネ」
 黒髪に黄褐色の瞳を持つ彼女は、楽しげに笑った。
「木に秋と書いて楸。それから鈴の音と書いて鈴音だよ」
 そう彼女は親しげに話しかけてきた。ぴったりの名前だな、とは思ったが、その唐突さにクリスの胸では警戒心がくすぶっており、また本人も消そうとは思わなかった。マリアに危害を与えるだろうか――そう考えると、あっという間に火種が燃え上がりそうで、恐ろしくもあった。
「俺達に何か用?」
「うん。話してみたくて探していたんだよ」
 彼女は事前にクリスとマリアのことを知っていたらしい。その理由を問うと、鈴音は喉の奥で笑った。何もかもが楽しいらしい。クリスは思わずむくれたくなった。

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