第壱章 03
「つまり親御さんは、もっと色々な範囲を学ばせたいと思ってるわけか」
「そういうこと。まあ、私も望むところだけれどね……好きなこと学べるのだもの」
「鈴音は今も魔法使えるの?」
「まあね。でも使ってみせてはあげないよ?」
「そこまで要求してねえよ」
「何だ、残念」
さして残念そうなふうでもなく、鈴音は肩を落としてみせた、その一瞬後には表情を一転させる。気まぐれなところがあるのかもしれない。
「で? お二人は何故ヴィンターゲシュに? 選んだ理由は?」
「詮索好きだな、鈴音って」
「代わりに自分の情報も提供しているよ?」
さも当然そうに鈴音は言った。偽りでなければ成立する交換条件のようなものだが、鈴音の言い分が虚偽であるという証拠を掴んでいるわけではなく、クリスは黙った。隣人として互いのことを知っておくことは、決して悪いことでもない。一つ溜め息をつき、それからクリスは質問に答えることにした。
「寮があったから――それから将来のことも考えて」
「何か夢でもあるのかな?」
「そういうわけじゃあないけど、魔法的資格を持っていれば雇用条件に当てはまりやすくなるかなって」
「何だ、私よりよっぽどアナタのほうが現実的じゃない?」
「親がいないんだぞ、院にずっといるわけにもいかないし、自分で考えなくちゃどうしようもないさ」
「ふーん?」
納得できたのかできていないのか、分からない反応を鈴音は示した。どう返すべきか迷い、続く言葉があるわけでもないので、当然クリスは黙り込む。鈴音もそれ以上追求することなく、辺りには沈黙が下りた。
マリアは最初から会話に加わる意思はなく、口を閉ざしたままである。会話の発端は鈴音であり、欲したのも鈴音であるから、クリスは彼女の言葉を待った。
その間クリスは鈴音の横顔を眺める。幾らか言葉を交わして見えない距離は近付いたのか、無意識に不躾な視線を送りながら、彼女が何を考えているのか読み取ろうとしたものの、やはりそこは不可能そうだった。目を見ても口元を見ても、何かを考えていないようで考えている様子と、何も読み取るなという牽制とのみしか、鈴音からは受け取れなかった。やがてクリスは鈴音の何かしらを掴もうという努力を諦め、正面を向いて両手を組み溜め息を吐いた。
その仕草に鈴音がくすりと笑った。
「……何だよ」
「不満げだね、見ていて面白いな、クリス少年」
「馬鹿にされたみたいだ」
「良く分かるね」
相手を否定する行為をあっさりと認めた鈴音に、クリスは言葉を失う。さらに鈴音は笑みを深め、肩を震わせた。
「クリス少年。うん、クリス少年、良いねこれ。これにしよう」
「俺としてはちっともあり難くない!」
「良いの良いの、私が呼ぶと決めたんだから呼ぶよ。異論は認めないんだよ?」
実に一方的な強制決定に、頭を抱えるようにしてクリスが呻く。それを傍目に鈴音はつと空を見上げ、すぐに視線を下ろすとベンチから立ち上がった。クリスとマリアの視線に追われながら、鈴音はその場でふざけて無意味に一回転してみせ、艶やかな黒髪を翻らせて言った。
「じゃあ、そろそろ私は戻るよ。話せて楽しかったかな。また今度話そうよ」
「まあ……俺もまあまあ楽しかった、かな」
「またね、マリアちゃん、クリス少年」
唐突な別れの挨拶に戸惑うまま、二人を残して鈴音は歩き去った。その後ろ姿が校舎の影に消えてから、クリスはマリアを振り返った。半ば呆然としながら、青空色の瞳を見開いてクリスは零した。
「……なんだったんだ、あいつ」
さあ、とでも言うように、マリアは首を傾げた。その深い湖色の瞳をじっと見つめていたクリスは、また一つ溜め息を漏らして頭を掻くと、腰を上げてマリアに右手を差し出した。
「よし、帰ろうか、マリア」
マリアの頷き。その白い左手が血色の良いクリスの右手に重ねられた。