第零章 02

 あの軍人の男達は、どうやら短気なようだった。もしくは銃撃が好みなのだろうか。だんだんと発砲音が増えてくると、少女の表情がだんだんと硬質さを帯び、肌色も既に蒼白と化した。しかし決して泣き言一つ漏らすことなく必死に駆ける少女を、こちらも必死に少年が導いた。少年は、初めて耳にする発砲音、しかもそれが自分達へ向けられたものであるということを、恐ろしく感じながらもスリルも同時に味わっていた。対して、少女はというとただただ恐怖と畏怖に突き動かされるように、逃げていた。
 彼女は、初めてではない。
 少女を襲う“現在”と“過去”二つの恐怖から、二人は脱しようとしていた。
「大丈夫、大丈夫だよ、マリア……」
 小声で言い聞かせるように少年は呟き、口内に溜まったつばを飲み込んだ。一瞬振り返った右頬に、瞬間、鋭い音と共に後方から熱いものが駆け抜けた。鈍い痛みを感じて右手を頬に這わすと、その指先にはじわりと滲んでいた血が赤く移っていた。ならば、今過ぎ去っていったものは弾丸か。
「やば……」
 出血はさして大したことがないが、おそらくは闇雲に放っている弾丸が自分達を傷つける可能性が多分にあるのだと悟った少年は、逃げることをやめた。つられて少女も驚いた表情で立ち止まり、色の悪い顔を少年に向けた。少年は身を屈め、それを少女に倣わせた。そっと地を這い、木の幹と、茂みとに程よく囲まれた小さな空間を見つけた。今度は茂みに潜り込むことはせず、茂みに身体を寄せる。闇の中では、黒い衣服を纏った少年と、黒々とした茂みとは同化して見えるのだ。これならやり過ごせるかもしれない。少女はそれを見て取り、同じようにした。
 動かずにいるのは、慣れている。今まで強要されてきたからだ。しかし、心臓の鼓動を止めることは不可能だ。興奮に跳ねる心臓は中から身体をばくばくと叩き、吐き出した血液を血管を通して身体中に流し、その音と流れは少年の身体全体を脈動させるかのようだった。敵に知られてしまうのではないか――。今の彼にできるのは、息を殺してただ待つことだった。
 夜明けを。
 山の峰をじわじわと照らしながら、太陽が昇り来る。行く手をあまねく照らす光。全てを許容してくれる光。その源が、昇り来るのを。
 やがて、人の気配が途絶えた。少なくとも近くには、男達はいなくなったのだ。目の利かない闇の中では捜索は無理だと諦めたのだろうか。聴こえるのは、二人の息遣いと、風の揺らす梢の音だけ。
 茂みを揺らして、少年は立ち上がった。微かに明るくなりつつある空気を胸いっぱいに吸い込むと、開放感で身体が満たされたような感覚に陥る。凝った空気が、太陽の放つ金色の光で払拭されていく。視界の端できらりと煌めくそれは、希望。

 ――自由だ!

 少年は振り返り、しゃがみ込んだままの少女を起き上がらせた。心ここにあらずといった風貌の少女を連れて、うきうきとした足取りで道に躍り出ると、走って林を抜ける。その先に待ち構えていた坂を駆け下りると、眼下に広がるのは朝を迎えて目覚めようとする石造りの町。爽やかな風が二人の顔に吹き付ける。少年は思わず歓声をあげた。
「マリア!」
 少女の手が、ぎゅっと少年の腕を掴んでいる。見やったその表情は、迷路から抜け出し、自由に羽ばたき出した小鳥の如くに輝いていた。深い湖面の色を写した瞳に、陽光が入り込んで煌めく。こみ上げてくる歓喜に、少年はわあっと叫んだ。

 クリストファー・ヴェネーロ。
 マリア・ロザリー。
 少年と少女が、歩みだした。


孤児院で脱走 軍の関与か
 三月十五日未明、ムルサ王国オート地方の孤児院「太陽の村」から、二人の少年と少女が脱走した。二人はリュウテ市に助けを求め、その証言により「太陽の村」の裏の顔が発覚した。
 「太陽の家」には、三月十四日から王国軍の一部が不法駐留していたことが確認されている。家宅捜索に入ったところ、「太陽の家」からは大量の爆薬が発見されたため、軍の関与が疑われている。また、少年少女の脱走の際、軍の銃が発砲されたとの話もあり、警察は慎重に捜査を進めている。
 「太陽の家」とは――

ロムテ連邦 某新聞より
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