〈殺し屋〉綺羅  Character Ability Story History Top

M e n u

桜花舞う道の二人
隠された夏の砂漠
透き通る大洋の船
荒野独り唄う舞姫
永久の悲しき祈り
孤独な漆黒の双眸
海上の虹色蜃気楼
白亜の町の秋の風
彷徨う亡霊の峡谷
香る桃の蕾の綻び
白い光の殺戮者達
黒い闇の殺戮者達

〈殺し屋〉綺羅
透き通る大洋の船
-Love is eternal,
He loves his family forever- 下

「圭太!」
 驚いたような女声が聞こえ、俺の左手首が強い力で誰かに捕まえられた。繊細で、かつ力強い白い指。細く伸びる腕。その先に居るのは、
「……綺羅」
「早く掴まって!」
 俺は右手を綺羅に伸ばした。揺れる大海。決死の覚悟で、綺羅は船べりを掴んでいた左手を、俺を助けるために、俺に向かって差し伸べた。俺がその手を掴もうとした瞬間、さらに大きな波が俺達を襲い、綺羅までもが海原に放り出された。
「Kira! Keita!」
 驚いたようなマーティルの声がした。しかし彼には何も出来なかった。俺達は藻屑(もくず)のように海中を踊り狂った。口に海水が容赦なく浸入してくる。服が重い。どんどん体が沈んでいく。
 綺羅の鉄色の髪が、目の前でちらついた。はっと思った時には、俺の腰に腕が回され、急速な浮上を感じた。気がつくと俺達の頭は海面から出ていた。俺は口中の海水を吐き出した。かろうじて飲んではいないようだ。奇跡だ。
「けっ、ゴホッ、圭太! 舟っ、に! ゴホッ! はやっ、早く!」
 咳き込みながら綺羅の声が聞こえた。俺は離れたところで揺れる舟に近付こうと向きを変え、しかし振り返った。後から来る綺羅のことが心配だった。
 綺羅はゴホゴホと酷く咳き込んでいた。俺とは反対に、海水を大量に飲んでしまったらしい。彼女は能力者とはいっても、体のつくりは人間と同じだ。苦しそうな表情で、彼女の体もどんどん沈んでいく。俺は水をかいた。
「綺羅!」
「先っ、に、ゴホッ、行きなさい!」
 綺羅は命令した。しかし俺は、従わなかった。彼女を置いていくわけにはいかない。俺は此処が何処なのか分からないし、金は綺羅が持っているのだし、其れは船のほうに残してあったにしろ俺には行くあてがないし、なによりも愛する女を見捨てるわけにはいかない。
 俺は黙って手を差し伸べた。普段と違う泣きそうな眼で、綺羅が俺を見上げてきた。彼女の手を、俺は掴んだ。問答無用だ。
「お前こそ、早くしろ!」
 半分希望を失っていた綺羅の眼に、光が戻った。小さく頷くと、ゲホゲホと苦しみながらも水をかき始める。俺は綺羅の後ろから泳ぎ始めた。泳ぐといったもんじゃない。(はた)から見ればもだえているような、格好なんてつけられない、ただ前に進む、それだけだ。
「キラ! ケイタ! こっちだ!」
 マーティルが舟を近づけてきた。運動神経の発達している綺羅は、すでに船べりに手をかけている。俺はまだ五十メートル程離れた位置に居る。
「圭太!」
 舟にあがった綺羅が、叫びながら手を伸ばしてくる。俺は必死にその手を掴んだ。
 強い力でぐっと引き上げられる感覚。俺は舟の上に居た。
「はあっ、はあっ」
 綺羅が俺を見てくる。
「……綺羅」
 呟くと、綺羅は視線を俺からはずし、其の後振り返った。
「…………」
「こんなことをしている暇はないよ! 早く此処を離れなくては……」
 再び大波が襲ってくる。マーティルが焦ったように言い、オールを漕ぎ始めるが、
「待って」
 静かな声で、綺羅が其れを制止した。
「待って。動かないで」
 突然、綺羅はすっくと立ち上がった。髪を濡らす水滴が、彼女の髪をさらに輝かせている。太陽が照りつける。不安定な足元にも関わらず、綺羅はしっかりと立っていた。
「どういう……」
 言いかけたが、俺は次の綺羅の言葉に、絶句した。
「さあ……来るなら来なさい、幽霊船」
 綺羅の頬に、さっきまでとは違う不適な笑みが浮かぶ。大波は依然として俺達を揺らす。しかし、綺羅は余裕だった。それがどこから来ているのか俺に分かるわけはないが、それでも綺羅は余裕だった。
 一段と大きな波が、俺達の頭上に持ち上がった。太陽がさえぎられる。
 綺羅が叫んだ。
「さあ!」
 右腕を掲げ、一本指を立てる。その人差し指が指すのは、大波。大量の海水が降りかかって――こなかった。
 綺羅の人差し指を中心として、波が拡散している。ただ広がるんじゃない。球の形に、俺達を包み込んでいた。
「Oh! A haunted ship!」
 マーティルの叫びが聴こえた。驚いたような声。俺が振り返ると、彼は目を見開いて、口を開けて、ただ何かに見入っている。それは水のベールの先にある。俺はマーティルの視線を追って、目を凝らした。其の先には。
「幽霊船!」
「そうよ」
 綺羅の作る水のベール、其の先に、幽霊船があった。噂に聞いた、あの幽霊船。だが、よく絵本などで見るような、おどろおどろしい感じはしない。普通の船のようだった。ただ、半透明に透き通っていなければ。
 綺羅が呼びかけた。
「誰か居るの!? 居るなら返事しなさい!」
 船上で、何か――誰かとは言い切れない――が、動く気配がした。甲板に出てきたのは、人間。おそらく五十代の男性。髪はマーティルに似た金色で、肌は陽に焼けている。正真正銘の人間だ。しかしやはり彼も、船同様透き通っていた。
「貴方が船長?」
「いかにも」
 綺羅が訊くと、男性は頷いた。金の髪が、風に揺られてさらさらとなびいた。
「ところで、君は誰だね? 近辺の海は、大波で誰も来なくなったのだが」
「私は〈殺し屋〉綺羅。こっちは風上圭太。で、こっちが……」
 綺羅が一人ずつ紹介していく。マーティルの番になり、その名を言いかけたところで、マーティルが手で制止をかけた。何時になく真剣な表情だ。まあ、何時になくと言っても、そんなに長い間一緒に居たわけではないのでよく知らないが。だが、彼がこんな表情をすることはほとんど無いと、分かっていた。
 青い瞳で船長の顔をじっと見つめ、マーティルが口を開く。そこから飛び出したのは、英語だった。
「You are Mr. Michael Daisy. Right?」
 訊かれた船長は驚いたようだった。しばらく沈黙していた彼は、いぶかしむように答えた。
「Quite. Why do you know it?」
「I am Martil Daisy. Your son.」
 何て意味だ?
「それくらいも分からないの?」
 綺羅があきれたように俺を見てきた。悪かったな。
「あのね、『あなたはマイケル・デイジーさんですね』『いかにも。どうしてそれを知っている?』『私はマーティル・デイジーです。貴方の息子です』ってあたりかしら」
 よくあんな高速の英語を聞き取って意味まで分かったな。
「そんな高速でもなかったわよ」
 あっそう。
「Who? …Martil! Are you really Martil?」
「Yes. I am your son, Martil.」
「Martil! My son!」
 マーティルと船長は駆け寄った。いや、駆け寄ろうとした。しかし、彼らを水のベールが阻んだ。それでも、彼らはギリギリまで近寄った。
「Dad…」
「Martil…」
 二人は長いこと見つめ合っていた。これが家族愛ってやつだろうか? 兎に角、二人の目には喜びが溢れていた、これは分かる。いわゆる、感動の再会ってやつだ。
「そこー、悪いけれど」
 とても、本っ当に気まずそうに、綺羅が声をかけた。マーティルと船長は、二人同時に綺羅に向いた。さすが家族だ。家族どころじゃない、親子か。
「あのさあ……船長さん、貴方は何故死んでも此処に留まっているの?」
 其れを聞くと、マーティルも船長も、はっとした。マーティルは信じたくない眼で父を見、マイケルはすまなそうにうつむく。俺は酷だと思うのだが、彼女を止める術はない。綺羅はさらに追求していく。
「貴方は死んだのでしょう? なら、もう逝っても良いはずだわ。それとも、未練があるの? 息子さんのことね? そうなんでしょう?」
「お父さん……貴方は本当に死んでしまったのですか?」
 マーティルが囁くように訊く。マイケルは小さく頷く。
「そんな! やっと会えたのに!」
「私も会いたかったよ、マーティル。私はお前の名をつけてからすぐに難破してしまったのだから」
 どういうことだ? よくは分からないが、おそらくマーティルが生まれ、マイケルがその名をつけた。その後仕事か何かで海に出たマイケルは、難破してしまい、結果息子の成長を見ることができずに死んでしまった。マーティルは父の顔を見ずに育った。そこでマーティルは、死んだと言われている父親を探して海に出た……ということだろう。あくまでも俺の想像だから正確な事実というわけではないがな。
「とても……とても、心配だった。幼いお前を残して逝ってしまうなんて、悔やまれてならない」
「だけど、此ればっかりはどうしようもないのよね」
 綺羅は頷いている。俺には納得できない。こんなのって、ありなのかよ。此の世の不条理ってやつなのか。
ふと思った。無情だ、世の中って。子供と居られた時間は、とても短かった。なのに、もう一度顔を見る前に死んでしまう。育ちゆく我が子を見ることも出来ずに、人々から忘れ去られて。
「何で……」
「…………」
 俺の呟きが耳に入らなかったわけではないだろうが、綺羅は黙ったまま。色の違う瞳で、悲しい再会を果たした親子を見つめている。其処に、彼女の本心を見出すことは出来なかった。
 ただ、冷たい。
 何かを覆い隠すように。
 悲しみを?
「――綺羅?」
 呼びかけると、綺羅ははっと我に返ったようにした。俺を見て、其れから何故かハア、と大きな溜め息をついた。
「さて、マイケルさん。そろそろ貴方は現世(ココ)を離れてもらわなくちゃね。そうでしょう?」
 マイケルとマーティルは水のベール越しにじっと見詰め合っていた。マーティルは手を伸ばしかけ、引っ込める。マイケルは悲しそうに首を振った。
「マーティル……もう、逝かなくては」
「お父さん……」
 惜しむようにお互いの目を凝視している。ふと綺羅を見ると、彼女は海中に手を突っ込み、手探りで何かを探していた。
「何探してるんだ?」
「棒状のモノ」
 綺羅はそれだけ言うと、再び探し物に専念してしまった。きっとマイケルを送るのだろう。仕方がない。俺もその“棒状のモノ”探しを手伝い始めた。
「これは?」
「短い」
「これは?」
「太い」
 いちいち注文を付けるなよ! 俺はいきりたった。
「これでどうだ!」
 どうだって良い。手に飛び込んできた棒をろくに見もしないで掲げる。もうやけくそのように突きつけられた棒を見て、しかし綺羅は満足そうに笑った。
「良いわよ。ちょうど。やるじゃない!」
 珍しく綺羅に褒められると、俺は小さい子供のように鼻高々になってしまう。どうしてだかはやはり分からないが、何故か嬉しいんだ。滅多に褒められないからかもしれない。
 綺羅は胸を張る俺から棒――此処らへんで難破した船のどこかにあったのであろう細い木の棒――を受け取ると、立ち上がった。マーティルに近付き、追い抜く。音もなく跳躍し、彼女は水のベールを通り抜け、幽霊船の上に居た。
「たったと逝かないのなら、無理矢理にでも逝かせるわよ」
 そうして、もの凄い形相でマイケルの透き通った首に棒を当てた。そうされたら普通は『ハイハイ、自分で逝きますからどうか乱暴はしないでください』なんて言うだろう。人ならばそれが普通だ。と俺は思う。
 しかし、マイケルはそうは言わなかった。むしろ、
「ああ、そうしてくれないと逝けそうにない」
 綺羅の言葉を借りれば『無理矢理に』逝かせろと頼んでいた。それを聞いたマーティルが、父を制止しようと口を開きかけた。俺はそれを止めた。
「何故止める?」
「綺羅を信じるから」
 俺はただそう答えた。
 それもあるのだが、本当は少し違う。これは本来ならありえないことだ。だから、その『本来の姿』に戻すのが大切じゃないかと思うだけだ。『本来の姿』というのは、死んだ人は死んだで居なくなる、ってことだ。悲しいが、それが現実だ。たぶん。
 綺羅は綺羅で容赦ない。
「貴方はもう逝かなくてはならない……けれど、もう少しだけ時間は延ばせるわよ?」
「構わない」
 マイケルが頷く。綺羅は棒を振り上げた。

 

 それからは一瞬のようで永遠のような出来事だった。何かを振り切るような今までにないぐらいの高速度で、綺羅は棒を振り回す。シャンシャン、シャンと光が舞い、あっという間にマイケルの姿は消えていった。
 彼は最後に言った。
「悔いのないように、生きなさい、マーティル」
 そして、消えてしまった。
 マイケル・デイジー船長は、逝った。
 彼の愛する船と共に。

 

「行きましょう」
 俺達の小舟に戻ってきた綺羅は、すぐにそう言った。静かに涙を流し続けるマーティルの代わりに、俺と綺羅がオールを漕ぐ。しばらくすると、本物の生きた船が見えるようになってきた。船長が、俺達を見つけて手を振っている。綺羅も手を振り返した。
「どうだった、幽霊船は?」
 船長は開口一番そう訊いてきた。綺羅は綺羅で、
「本物だったわ、噂は本当ね」
 と笑って答えている。笑うなよ。
「そうか。生きて帰ってこれて良かったな」
「でもね、」
 心底ほっとしたような船長に、綺羅は表情を暗くして言った。
「悲しいことだったわ」
 未だ小舟で慟哭しているマーティルを顧みた。
「約束だったわね。ゆっくり話してあげる。彼はそっとしておいてあげましょ」
 そう言うと、船長を伴った綺羅は姿を消した。

 

 まだマーティルは泣いている。
 見ているこっちがイライラしてきた。どれだけ家族愛があるんだよ。どうせ其れが運命だったんじゃないのか? だったら逝くのが当然だ。家族愛。俺にはそんな感覚はあまり無い。
 再び吐き気がこみ上げてきた。きっと酔ったんだ。俺は船室へ向かった。綺羅は船長と話をしているし、マーティルは泣いている。
 もしかして、酔っただけじゃないかもしれない。
 まあ良い。俺は寝る。寝てやる。
 ふてくされたように俺はベッドに入った。

Fin