〈殺し屋〉綺羅
荒野独り唄う舞姫
-A girl sings a hymn of praise
at a west end- 下
世の中というものは本当に酷で、何せまだ十代前半の娘に辛い運命を突きつける。神がいるのかいないのか俺は知らないが、だが俺は、今回ばかりはその運命を定めた“神”とやらを恨んだ。
一族の滅亡。
宣告を受けた祭司の少女は、ぼろぼろと涙をこぼして泣き崩れていた。
「もうすぐ、その時がやってきます。……分かるんです、だって私は、祭司だから」
それでも前を見ようとするティルナに、綺羅は告げる。
「じゃあ、私達がそれを見届けるわ」
ティルナがはっと顔を上げる。私達、それはもちろん、綺羅と俺のことだろう。しかし、『じゃあ』とは何だろう。綺羅は、ヴィルテン族が滅ぶことを認めた。普通なら知られているわけがない(とティルナの言う)ヴィルテン神話を、綺羅は知っていた。なら、以前関わりがあったのか、もしくは興味があったのか、どちらにしろそんなに簡単にそれを許容できるだろうか。
いや――綺羅には綺羅の考えがあるのかもしれない。
「貴女は何故、一族の滅亡を悲しむの?」
「え……っ、それ、は」
ふいに向けられた問いに、ティルナは口ごもる。ああ、何故だろう。これだ、と答えられる確実な答があるわけではない問いかけだ。俺も考えてみる。何故だろう。だって、今まで生きてきたんだ。それらが全部無へと帰す、そのことが悲しい。それは何故だ?
綺羅は、左右で色の違う瞳を、〈想視眼〉をティルナへと向けている。俺は横から、彼女の双眸を覗き見る。――ああ、見える。彼女の瞳に移って揺らめく、細く糸をひく炎のような感情の線。ティルナを取り囲むその線は、起伏も激しく波打っている。色は? 色は……見えない。もっとそれを見ようとした時には、許された時間が終わったかのように、それは彼女の眼球面から掻き消えてしまった。
ティルナの啜り泣きが、再び生まれる。
「生きてきた証が……消えてしまう。嫌……嫌、嫌、それが嫌!」
「だから私達が、その“証”を、見届ける」
綺羅は言った。
その時に震えたティルナの肩は、驚愕と歓喜と悲哀と、それから色々がごちゃまぜになったようなものを漂わせていた。
それ以上続けることなく、綺羅はティルナに背を向けた。必然的にその身体は俺の正面に立ち、しかしかわすように逸れていった。すれ違った瞬間、綺羅の唇がそっと動いて、俺の耳朶に染み込む声を紡いだ。
『これで良いかしら、圭太』
しばらくの間呆然とし、慌てて俺が振り返った時には、綺羅は何事もなかったかのように集落へと戻っていた。ティルナの動く気配はなかったが、俺がここにいても何事も起こらないだろう。かなり遅れてではあるが、綺羅の後を追った。
陽が傾き、夜には騒がしく宴を催す。昼間のこともあり、俺はかなり酒飲みの誘いを受けたが、丁重に断った。いや、やっぱり俺は未成年だし。あまり飲みすぎても身体の発育に悪いだろう。
眠り、そして朝が再びやってきた。同じように午前は移動、午後は教育、そして語りの時間がやってきた。子供達、大人達は昨日と変わった様子がない。子供達のほうは和気藹々とテントへ駆けていくし、大人達はそれを微笑ましく見守っている。今までと同じ、そしてこれからも繰り返されるはずだった、光景。
ティルナは。
俺と綺羅も、何気ない風を装って語りを拝聴する。やはりティルナが、子供達に囲まれ座っていた。
語り始めたのは、一つの物語。ある王国の、王女の話。国を襲った脅威と、対抗する王女、そして再び甦る平和。簡単にすると、そんな物語だった。
でも俺は、昨日のような陶酔を味わうことができなかった。おそらく昨日の、ティルナの涙を見たせいなのだと思う。彼女の色彩豊かな語りの裏に隠された真実は、がっちりと俺の心に根を張って、どうも抜き去ることができないようだ。気になって仕方がない。
そして綺羅も。
綺羅は感情を隠した瞳で、他人の感情を見ている。それは意図して見えたり見えなかったりするものではないらしいから、責める点ではないのだが、何故に多彩な感情を目の当たりにしながらも、彼女自身は常に冷静でいられるのか、俺は結構長い間不思議に思っている。今、ティルナが本当はどう思いながら語りをしているのか、綺羅は見えているはずだ。なのに、綺羅は怒気も憐憫もその眼に映すことはない。
不思議だ。
ティルナの朗々とした語りが終わった。取り囲む幼子達から、小さな手による拍手が送られ、さらなる物語を要求した。ティルナが笑って頷き、了承する。ティルナ、子供達、俺と綺羅、その周りを囲んでいる大人達が、驚いて息を呑むような気配がした。それを気に留める様子は全く見せず、ティルナは語りを再開した。
今日は、かなり長い時間が語りに費やされた。ずっと正座をしていたため、俺の脚は痺れきっていた。語りの終了と共に子供達はテントの外へ駆け出し、俺は立ち上がって脚をほぐすことに専念した。いや、だって辛いじゃないか。力を抜いてぶらぶらと脚を振って痺れを取る、
「ぐっ、うあ」
やばい、足裏が攣った。
それを、おそらくたまたまであろう――そうであってほしいものだ――ティルナに見られてしまった。ティルナは声を上げた俺を怪訝そうに見上げ、クスリと笑った。俺は思わず頬を赤く染めた、と思われる。何せ、年下の少女に笑われてしまったのだ。受けを狙ったわけでもないのに。
逃げるように視線を動かすと、綺羅も俺を見ていた。その口端に侮蔑するような色が窺え、今度は俺は憮然とした。嘲笑っている。よけい性質が悪いだろう。なあ?
俺達三人以外がテントから退出すると、ティルナは俺と綺羅の元へ駆け寄ってきた。
「普段は、お話するのは一つだけなんです。だから、長達凄く驚いてましたね」
くすくすくす。悪戯で大人を惑わせた時みたいに、ティルナは笑った。そして、すっと表情を消した。“表情”という、付け入られる隙を消したのだ。
「今日です」
「……もしかして」
「今日です、運命の日は」
まるで冷たい石と化したかのように、ティルナは言葉を紡ぐ。
「今日、です。……綺羅さん」
「何?」
やっと、綺羅が口を開いた。綺羅も俺と同様正座していたのだが、その姿勢はまだ変わっていない。慣れているのが、我慢しているのか、どちらにしろ俺よりも強いことは明白だ。綺羅は立ち上がることはせず、ティルナに視線を向けた。
「私のテントに来て下さいませんか? お願いがあるんです」
「分かったわ」
理由も訊かず、綺羅は頷き立ち上がった。俺もついていこうとすると、ティルナが止めた。
「すみません、圭太さん。綺羅さんだけに」
「そうか……分かった」
いささか疎外されたような感があるが、その程度で腹を立てるほど俺は子供ではない。すぐに引き下がり、テントの中に残って二人が出て行くのを見守った。その姿が消えてから、俺は自分と綺羅があてがわれたあのテントに戻った。
日が暮れても、綺羅は帰ってこなかった。夜の宴が始まっても、どちらの姿も見かけない。事情は分かるのだが、半分自棄になって酒を少しばかり戴いた。子供達が寝る時間になり、大人達の時間がやってくる頃、綺羅が姿を現した。
「いらっしゃい、圭太」
「綺羅。……ああ」
綺羅に従って歩くと、俺達のテントへ戻ってきた。中に置いてある荷物を纏めると、どんどん集落から遠ざかっていく。俺は焦りながらも、それについていく。幾分離れたところに荷物を置くと、綺羅は煌めく瞳で集落を見やった。俺もそれを追い――眼を見開いた。
信じられない光景が、夜闇に浮かび上がっていた。
「き、ら、あれ」
「来たわね」
ティルナが言うには、ヴィルテン族は他の部族からの襲撃を受けるとのことだった。残念ながら、ヴィルテン族は平和主義で武力を持たない。あっという間に良ければ制圧、悪ければ殲滅させられる。
そして今、先ほどは平和なヴィルテン族の集落があったところに、煌々と炎が立ち上がっていた。
「どうするんだ」
「……圭太は、離れたところにいて」
「綺羅は?」
「加勢する」
よく見れば、綺羅は普段のロングスカートではなく、動きやすいパンツスタイルになっていた。俺は不安になって綺羅を見上げた。綺羅は不死身のような女で、男の俺よりも物凄く強くて、それでもあの炎に勝てるだろうか。恐ろしい、綺羅を失うのは。綺羅がいなくなったら、俺はどうすれば良いだろう。俺は、ここが世界地図のどこなのか、全く知らないのだ。一人で生きる術も知らない。本当に途方に暮れてしまうし、第一、綺羅がいない生活など、欲しくない。
しかし綺羅は、そんな俺の不安を吹き飛ばすような不敵な笑みを、強く魅せた。
「大丈夫。私達は、このことを記憶に焼き付けなければいけない」
そんな台詞を残し、綺羅は颯爽と駆け出した。俺は綺羅に言われたとおり、戦火も届かないこの場所に立って、燃え盛る火を見ていた。あの中にはロッドさんが、子供達が、ヴィルテン族の民がいる。そしてティルナも。
どうか……どうか、神様いるのなら。定めた運命を、ひっくり返してください。ティルナが泣いていた。子供達が笑っていた。あの光景を、消さないで下さい。どうか、どうか。
雄叫びが木霊し、影が踊る。赤い揺らぎは絶えることがなく、盛んに燃え続ける。戦況は、ヴィルテン族の劣勢だ。彼らが、あんな歓喜の声をあげるわけがない。耳も目も塞ぎたかったが、ティルナとの、綺羅との約束がある。俺は眼を見開いて、その様相を見続けた。
時は早く過ぎた。炎の中からまろぶように現れた影が、こちらに向かって歩いてくるのが見えた時、俺は駆け出し、その身体を受け止めた。細く小さなその少女は、枯れ草色の髪を持つ、ティルナだった。
「ティルナ、おい、ティルナだよな」
「けいた、さん」
意識はある。しかしその身体は熱を持ち、ぐったりと俺の腕に体重をかけてきていた。荒い息で、ティルナは喘いだ。
「綺羅さんから、はなれて、いろって」
「分かった」
俺はティルナに肩を貸し、荷物を置いた場所まで戻った。ゆっくりと少女を大地に横たえ、荷物をあさる。鞄の中に入っていたタオルを水で濡らし、それでティルナの身体を冷やす。闇の中だからよく見えたわけではないが、出血のような大怪我はしていないようだ。ほっとしながら、ティルナに具合を訊いた。彼女は、大丈夫ですと答えた。
炎の中に、鉄色の輝きが見えた。
夜が明けた時、もう亡きヴィルテン族の成れの果ては明らかになった。テントは跡形もなく、焼け爛れた肉塊がそこかしこに転がっている。小さいものも、大きなものも、細いものもある。
無意味で一方的な争いの最終的な勝者は、やはり綺羅だった。何かしらの手段を用いて、全てを制圧したのは、彼女だった。
ティルナは死ぬこともなく、朝を迎えた。一晩中泣き続けていたせいだろう、煤けた頬にいくつもの筋が伝っていた。彼女は集落跡を見ると、尽きることがないのだろうか、涙を流した。
そして何も言わず、焼け跡の中心へゆっくりと歩み寄り、高い声で静かに唄いだした。戦いの名残を全く残さず、綺羅が俺の隣に立った。ティルナは唄い、舞った。綺羅が静かに言った。
「弔いよ」
その様は優雅で、しかし物悲しく、何も見えていないような虚ろな表情でそこに在った。綺羅は、所持している食料を幾らか残し、俺に旅立つことを告げた。俺は頷いた。綺羅が言うなら、俺はそれに従うのだから。
最後に振り返ると、ティルナは両手を掲げてその場で回っていた。くるくるくる。裾の破れたワンピースが、花のように咲いていた。それを見納めに、俺達は去った。
「あの娘は、私に託したものがあるのよ」
そう言って綺羅が見せてくれたのは簡素なつくりの冊子だった。中を開いたが、そこには文字が書かれていても俺には読めなかった。平仮名片仮名漢字アルファベット、俺が知っている文字のいずれでもない。しかし綺羅はそれが読めるかのように、ぱらぱらとめくった。
「ヴィルテン神話とか、あと色々な物語。――あの娘が、書いたものだそうよ」
綺羅は道中、ずっとそれを読んでいた。俺はその後についていく。ティルナの放心した表情が目の前をよぎり、消えた。
ああ、本当に無意味な争いだ。一体何をしたかったのだろうか。ヴィルテン族ではなく、攻めて来たほうが、だ。俺が会うことはなく、訊くことはできなかったが、知りたくもあり、知りたくなくもあった。どうにせよ、綺羅が作り出したこの結果に難癖をつけるつもりはない。
ティルナはこれから、どうするのだろう。
俺達は荒野を後にした。
Fin.