〈殺し屋〉綺羅  Character Ability Story History Top

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桜花舞う道の二人
隠された夏の砂漠
透き通る大洋の船
荒野独り唄う舞姫
永久の悲しき祈り
孤独な漆黒の双眸
海上の虹色蜃気楼
白亜の町の秋の風
彷徨う亡霊の峡谷
香る桃の蕾の綻び
白い光の殺戮者達
黒い闇の殺戮者達

〈殺し屋〉綺羅
荒野独り唄う舞姫
-A girl sings a hymn of praise
at a west end- 中

 俺は隠れて、二人の女を追う。これだけ聞くと非常に怪しい男になるが、もちろんそんなのじゃあない。
 追われている女のうち、一人は綺羅。鉄色の髪をなびかせて、いつの間にか厳しい目つきになっている。
 もう一人は、謎の少女。ヴィルテン族という民族の娘。分かっているのは、枯れ草色の髪に暗い青の瞳、十代前半という容姿と、話が上手いこと、ただそれだけだ。
 綺羅は、何か知っているのかもしれないが。
 少女を静かに追う綺羅と、それにこそこそと付いていく俺。おそらく少女は気付いていない。しばらく歩き、ヴィルテン族の人が全く来ない、または気にしないぐらい離れたところまで到達すると、少女は立ち止まった。何をするのかと思うと、――これがまた、気まずいことになってしまった。
 語り手の少女が、泣き出したんだ。
 今まで押し殺していたものが噴き出したような、そんな感じ。俺達に背を向けて嗚咽を漏らし始めると、すぐに涙まで溢れてきたようで、剥き出しの手で、さらには腕でそれを拭う。しかし、それを繰り返しても涙は止まらずにいるようだ。半分は俺の想像。何せ、俺の位置から少女を正面から窺うことはできなかったから。
 ああ、これはそっとしておいたほうが良いかもしれない、と俺が思い直した時だった。全く容赦がない。綺羅が姿を現したんだ。
「貴女」
 びくり、と少女が肩を震わせ、素早く振り返る。物凄く驚いた表情をしている。見開かれた眼で、険しい綺羅の顔を見返している。ああやっぱりだ、少女は泣いていた。あまり時間は経ってないわりに、白目がもう赤い。ここから見えるのだからそれなりだ。
「何を、悩んでいるの?」
 表情はそのまま、綺羅がずばり尋ねた。ということは、綺羅は少女を気遣っているのだろうか? それとも何か別の目的があるのか。少女はさらに驚いたようで、微かに身を引いていた。
「旅人、さん、ですか」
「そうね。私の名前を知ってる?」
「はい。……綺羅、さん」
 知らないかと思っていた綺羅の言葉を、あっさりと口にした少女。綺羅も綺羅だが、少女は少女で侮れないかもしれない。
「……さあ、私の名前は知ってるのよね。生憎だけど、私は貴女の名前を知らないわ」
「私は……ティルナ、です」
「ふうん、貴女、ティルナっていうの」
 綺羅がいつもの、不適な笑みを浮かべた。やっぱり、何か綺羅には目的があるのかもしれない。そっちの可能性が、俄然高くなってきた。と思う。もし、さっき俺が考えたように綺羅が少女――ティルナを気遣っているのなら、そんな強気な表情はしないだろう。
「貴女、神様?」
「っ! 違います!」
 突如、ティルナは牙を剥いた。綺羅が挑発的な言葉を放ったからだ。当然だ。俺だって、突然偉そうに『神様?』なんて訊かれたら、怒りを抑えきれない。お前がだお前が、となる。
「私だって、好きでこの名前じゃありません!」
「まあ、そうでしょうね。ティルナ――ヴィルテン神話の舞いの神の名前」
「……貴女こそ、なんでそんなことを知っているんですか」
 何とかといったふうに怒りを抑え込んだティルナが、そう訊き返した。そうだ。ヴィルテン神話なんて聞いたこともない。おそらくヴィルテン族に伝わる神話であろうってことは分かるが、何故それを綺羅が知っているだろう? まさかヴィルテン族との接触は初めてではないとか。というか、ティルナとはヴィルテン神話の舞いの神の名前だと? そんな大層な名前なのか。
 ティルナ自身は、それを否定しなかったのだから。
「まあ、事情と趣味で私は色々と話を知っているから」
「でも、どこでヴィルテン神話なんて知識を手に入れました? ヴィルテンの神話は、口伝ですよ」
「それを、貴女は伝えられている、と」
「…………」
「これからどうなるのかしらね、その神話」
「神々を侮辱する気ですか!?」
 さて、俺は隠れてこのやり取りを聞いているわけだが、はっきりいってかなり恐ろしい。何せ、綺羅だ。綺羅の臨戦態勢だ。怖い。そして、それに怯まないティルナの怒号。さっきまで泣いていたはずだが、それはすでに影も形も見当たらない。
「さあ? 私、神様なんて信じていないから」
 綺羅のその一言。ああ、ティルナは怒っているぞ。いや、やっぱり泣きそうになっている。綺羅相手だ、無理もない。何もしていなくても迫力があるのに、不快感を全面に押し出して話すんだから、余計酷い。綺羅、お前年上なんだから、もっと大人になれよ。
「圭太」
「いっ」
 いつの間にか、まあ当然だが、綺羅には気付かれていたようだ。このまま白を切りとおしても綺羅の怒りは増幅する一方だから、俺はおとなしく姿を現す。ティルナは、綺羅の時以上に驚きを表し、なんで、と呟いた。俺は非常に、気まずい。
 紅と蒼の瞳が、ぎろりと俺に向けられた。
「なんで、いるのかしら?」
「あう、う、いや……」
 別にいたっていいだろう! 俺にも行動の自由はある! ……と主張したいができない、俺は情けない。自分で言っていたらもうおしまいだ。
 そんな俺に、救世主は登場した。
「圭太さんがここにいてはいけない理由がありますか?」
 ティルナだ。驚愕から立ち直ったらしい。綺羅の瞳が、ティルナへと向く。
「彼は、覗きをしていたわよ?」
「ええ、ですが圭太さんにも行動の自由があるはずですよ」
 思っていたことをずばり言ってくれた。綺羅はむっとしていたが、俺としては感謝感謝だ。思わず土下座して拝みたくなった。何せ、綺羅も不毛な争いは避けたいと思ったのか、それ以上は追求してこなかった。ティルナの功績は、大きい。俺にとってはな。
「……にしても」
 綺羅は、呆れたふうを“装って”、溜め息をついた。
「好きでもない神様を崇めているなんて、よくできるわね」
 ティルナのこめかみが、ぴくりと動いた。
「どういう、ことですか」
「あら? だって貴女、さっき言ったでしょう。好きでこの名前じゃない、って」
「それ、は……」
 ぐっと口をつぐむティルナ。おそらく先ほどの発言は、綺羅に対抗するための咄嗟の言だったのではないかと思う。俺はそう考えた。しかし、それが正しくないなどと誰が思うだろうか? 真実は予想に反するものだった。そう、極めて。何がどうしてそうなったのかは、すぐに本人の口から明かされた。
「――ええ! そうですよ! 神様なんて……神様なんて……!」
 ティルナの言葉は続かない。彼女の言いたいことは、きっとこうだ。『大嫌い』。しかしティルナは、それを言えないようだった。彼女の表情は神への憎しみを雄弁に語っているというのに、言葉として音には発音されない。ティルナは堪えるように喉をひくひくと動かしていたが、そこでつっかえているようだ。
「嫌い?」
「いいえ」
 綺羅の問いに、ぐっと返すティルナ。それは、感情の方向の否定ではなく、程度の否定であると俺は読んだ。『嫌い』でなく、『大嫌い』。何故なら、ティルナの表情は酷く憎々しげに歪んでいたから。正反対の、『好き』という感情はありえない歪みだった。
 綺羅は“想視眼”を持っている。ティルナの感情が見えないわけはないのだが、あえて尋ねた。おそらく、俺に分からせるためだろう。綺羅は、俺を会話のメンバーとして認めてくれたんだ。そうじゃなかったら、分かることをわざわざ訊いたりせずに話を進めるだろうから。
「言えない?」
「言えま、せんよ。だって私は」
 ふと視線を落とすと、ティルナの両腕は体の脇で垂らされ、いや、突っ張られていた。原因は、その先端の握られた拳。体のさらに下部では、脚。これもまた、大地にがっしりと置かれていた。強い力が込められているように見える。
「神を否定しては、いけないから」
 ぽつり、と。ティルナの足元に雫が落ちた。嫌な予感がする。何だってまた。本当に俺は、こういう状況は苦手なんだが。
「私は、祭司だから」
 ティルナの小さな顎から、雫は滴る。一滴、一滴と零れ落ちていくそれは、彼女の瞳から溢れているものだ。再び少女は、泣いていた。先ほどのように拭われることはなく、ただ地に染みていく。
 綺羅は、無言。呆れは消え、表情に険しさを乗せていた。しかし、侮蔑も憐憫もなく、ティルナを見ていた。
「……祭司?」
 俺が尋ねると、ティルナは頷いた。口を開いて説明を始める。その直前、少女の奥歯がかちっと鳴るのを、俺は確かに聞いていた。
「そうです。ヴィルテン族は、収穫が終わると、豊穣を感謝する神への舞を踊るんです。祭事を取り仕切るのが、祭司の役目。また、神話を語り継ぐのも祭司です。それが私です」
「でも、それだけじゃないでしょう」
 綺羅の問い。ティルナは一瞬だけ、眼を眇めた。
「はい。……日々常に神へ祈りを捧げ、神の声を聴くのも、祭司の――私の、役目です」
 ああ、ここまで来れば、俺は何だか分かってしまったような気がした。わざわざ最後に持ってきた、祭司としての役目の一つ。ティルナの言動。良くある話なのだろうが、実際に出会うとは思わなかった。
「何を、聴いたの?」
「ヴィルテン族の、……っ」
 続く言葉は、何だ。
「「滅亡」」
 ティルナの声と、綺羅の声が重なる。言った途端、ティルナは両手で顔を覆った。力が抜けたように膝が砕けて、彼女は地に座り込んだ。激しくしゃくりあげる音と、その隙間にくぐもった声が、俺達の耳に届く。
「嘘だったら! 嘘だったら良かったのに!」
「でも、貴女は聴いた」
「今までに聞き違えたことなどないの、今回だけ違うなんてない! でも!」
「貴女は聴いてしまった」
 綺羅の静かで強い宣告。それはおそらく、ティルナをどんどん追い詰めている。今まで以上に、彼女を縁へと追いやっているのではないだろうか。だが、慰めの言葉をかけたとしても彼女が救われることはないだろう。彼女は、そんな言葉は欲していないだろう。だったら、真実を突きつけることのほうが良いのだろうか。俺には分からない。今できるのは、二人の言葉を耳に焼き付けることだけだ。
 ティルナは、涙に濡れた瞳を綺羅へと向けた。
「神は仰いました。族は滅亡す、と」
 まるで、救いを求めるように。

To be continued...