イルスの宿木 1章 1-5


-イルスの宿木- 1章-1

「フィー! フィー!」
 木の間を縫って、少年の呼び声が木霊する。
「フィーチェトーレ・アルモーツェ!」
「煩い! フルネームで呼ぶな! 聞こえてる!」
 高く返ってきた声を耳にし、少年は立ち止まった。風に遊ばれてくしゃくしゃになった髪は、中途半端な長さの藍色。翡翠の瞳で辺りを見回し、肩で息をしながら口の前で手をラッパの形にする。
「フィー! 先生が呼んでる!」
「行かない!」
「フィー!」
「行かないったら!!」
 がさがさ、と茂みをかき分けるような音がして、一つ気配が遠ざかっていく。もー、と一人ごちた少年は再び走り出す。向かう先は、気配の逃げた先。足跡を辿るような正確さで、少年は気配の後を追った。
 二人の追いかけっこは、かなりの時間続いた。
「――だあっこの!」
 先に痺れを切らしたのは追われている方で、そんな悪態をつくと逃走をやめた。諦めたのではなく、あくまで“やめた”のである。一時だけ。
「イグレスト・セントウォール!」
「フルネームで呼ぶなって、言ったくせに自分は呼ぶんだ」
「イグレスト・セントウォール!」
「これって苛め?」
「違う!」
 首をひねった少年の前に、木から少女が降ってきた。着地の際は膝を曲げ、勢いはそのままに立ち上がった。長い髪は桜色、瞳は金色で、ぎっと少年を睨みつける。前方へと伸ばされた右腕は少年の首元へと向かい、手に握られているのは簡素なつくりの短剣。
「わっ」
 少年――イグレスト・セントウォールは軽く声をあげて身を引いた。しかしその分、少女――フィーチェトーレ・アルモーツェは距離を詰め、刃は常に危険をもたらす位置にあった。
「イーグ」
「な、何ですか」
「私は行かないって、言ったよね?」
 イグレストはわざとらしく両手を挙げて降伏を示すが、フィーチェトーレの眼光は緩むことなくイグレストを見つめていた。イグレストはかくかくと首を縦に振る。
「うんうん」
「じゃあ用は済んだよね? 終わりだね?」
「やっ、あのさ、俺はフィーを連れてくるようにって頼まれ」
「拒否」
 きっぱり、フィーチェトーレは言い捨てた。イグレストの眼に絶望が浮かび、一瞬の後彼は懇願状態に陥った。

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あとがき

こんばんは、井上沙乃莉(sanori0128)です。
イルスの宿木、1章本編スタートです。
とりあえず、今回は主人公達の名前について。
はっきり言って、参考資料はありません。音で決めました。そんなもんです。
Fircetore Almoze フィーチェトーレ・アルモーツェ
Iglest Sentwall イグレスト・セントウォール
愛称はそれぞれフィー、イーグです。フィーはフィーチェ、とも。
舞台は学校のようです。たぶん。
フィーは可愛い外見の割りにサボり魔です。
イーグは一見ズボラなのに妙に几帳面です。
これからどうなるかは……うーん?ってところです。
休みの日は余裕があって書けるので良いですね。
それではこのへんで。
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-イルスの宿木- 1章-2

「なあなあフィー、お願いだよ! 先生に怒られるの俺なの! 俺が怒られちゃうの! 俺は嫌だ! 理不尽だ! だからフィー、戻ってくれよ! 頼むから!」
「い・や」
 フィーチェトーレは、情け容赦もなく言い捨てた。はうっ、とイグレストは息を呑む。いかにも哀れそうな雰囲気を作り出し、目尻には薄く涙を溜めているが、いかんせん相手はフィーチェトーレである。彼女はそれさえも見て見ぬふりをし、あまつさえ立ち去ろうとまでしたのけた。
「あっ、フィー! 待ってってば本当に!」
「二度も言わせるわけ? い・や」
「あー、酷いよフィー」
「二度手間を取らせるあなたはどうなの?」
「〜っ。サボり魔っ」
 イグレストは言葉を詰まらせ、その末に苦し紛れで絞り出したそれは、フィーチェトーレの怒りをさらに増大させる。視線はますますきつく、イグレストを締め上げる。
「悪い?」
「わっ、悪いよおおいに悪い! 僕みたいに害を被る人がいるんだっ」
「ふーん、それで?」
「フィぃいー」
 イグレストはとうとう、脱力して地にへたり込んだ。盛大な溜め息を漏らすと、今度は愚痴をこぼし始める。
「ていうかさ、何でいつもいつも俺なわけ? 俺ばっかりが犠牲になるわけ? フィーは怖いし、先生は怒るし、授業は受けられないし、最悪だよ。僕はこれでも勤勉家だったはずなのにさ。それもこれもきっと彼女のせいだよ。うん。名前言ったら怒られるよね、きっと。だから言わないけどさ。うん。あの子のせいだ」
「イグレスト・セントウォール。聞こえてるよ」
「放っといてくれえぇぇ」
「あら良いの」
 思わず叫んでしまい、イグレストはフィーチェトーレの軽く弾んだ声を聞いた。ぎょっとして顔をフィーチェトーレに向けると、微かに頬を紅潮させたフィーチェトーレはうきうきと口を動かしていた。
「放っといてくれ、ね。分かった。存分に嘆きなさいな」
「ふぃっ、フィーこれは誤解じゃなくってまあいわゆる言葉の綾で」
「はいっ、ごゆっくりっ!!」
 イグレストが止めようとしたその瞬間には、フィーチェトーレはすでにその場から姿を消していた。がさがさがさ、とわざとらしく音を残して逃げていく少女の後を追う気力は、イグレストには既に残っていなかった。

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あとがき

こんばんは、井上沙乃莉(sanori0128)です。
イグレストとフィーチェトーレの力関係が一目瞭然、になっていますでしょうか?
フィーの非情さを前面に出してみました。
会話だけで、イーグはHPもMPも残っていない状態でしょうか。
前回・前々回に比べて短いですが、これにて。
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-イルスの宿木- 1章-3

 毎回の如く、イグレストは教師からありがたくもないお言葉を頂戴することになった。
「ああ、どうしたらフィーチェトーレ君は授業に出てくれるのだろうね」
「はあ……(いや……俺が知りたいところだ)」
「イグレスト君、何か名案はないのだろうか?」
「(俺が訊きたいっ)どうなんでしょう……授業を面白くするとか」
「イグレスト君、どうか彼女を連れ戻してくれ!」
「(はあ!? 何で俺が!)……努力はします」
「頼むよイグレスト君、希望は君だけなんだ」
「(何で俺だけが……)はあ……」
「ああ、フィーチェトーレ君を授業に出させる名案はないのだろうか……イグレスト君」
「(おいまたかよ)はあ……どうなんでしょう」
「君だけが頼りなんだ! しっかり頼むよ!」
「……分かりました(もう何も言うまい)」
「行って良いぞ」
「失礼しました」
 取りとめもなく続く担任の許しを得ると、イグレストは即効で職員室を飛び出した。そうして重く息をつく。廊下で待っていた友人が、慌てたように駆けつけてきた。
「おいイーグ。どした? 大丈夫か?」
「大丈夫、……じゃないかも」
 げっそりとしたふうに彼を見やり、ぽつりと付け足すイグレストに、友人、ヴェルマス・ドトラックは天を仰いだ。気だるそうに嘆く。
「ったくさあ、せんせーもイーグを頼りすぎだっつーの」
「全くだよ、おかげで俺ばっかりこんな目に」
「大丈夫だイーグ、俺はイーグの味方だぞ! ……小言は嫌だけどな」
「ありがとう、ヴェー」
 イグレストは辛うじて微笑んだ。するとヴェルマスは、力強くイグレストの背中を叩いた。げほっ、と咳き込むイグレストに、ヴェルマスは大声で言った。
「ばーかだなあ、イーグ。礼なんて要らねーよ。てか、そんな弱々しくってあのフィーチェに勝てるかよっ」
「まあ、そうだねえ」
「ばか、呑気すぎるぞ。もっと強くなれよー」
「ヴェー、ばかばかいうなよぅ」
「やーい、ばーかばーか」
「うっわ酷いよー」
 軽口を叩きつつも、彼らは晴れやかに笑っていた。

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あとがき

こんばんは、井上沙乃莉(sanori0128)です。
さて、今回はフィーが登場しません。
代わりに新しく友人が登場しましたね。
Vermas Dtlack ヴェルマス・ドトラック
こんな綴りです。v、mas、dt、っていうのを使いたくてこうなりました。
ヴェーはお調子者で良いやつです。これからも結構イーグを助けます。
支えになります。きっと。
それではこのへんで。
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-イルスの宿木- 1章-4

 フィーチェトーレは、緑のよく茂る枝に腰掛けて自分の短剣を見つめていた。つい先ほど、イグレストに突き付けた短剣だ。常に行っている手入れのおかげで、反りのない刀身は澄んだ光を反射している。角度を変えれば、フィーチェトーレの顔が映る。桜色の髪に金色の瞳をした、不機嫌そうな少女の顔。フィーチェトーレはそれを、ぎゅっと握りしめた。
 そっと鞘に刀を戻し、懐に差し入れると、フィーチェトーレは立ち上がった。安定しない木の上であるにもかかわらず、その足元には危なっかしそうな様子は微塵も見られない。慣れた足取りで跳び立ち、枝から枝へと移動を始めた。
 林の途切れるところで地面へと降り立ち、足を止めずに校舎へと駆け込む。長い髪がなびき、すれ違う人々は何事かと彼女を振り返るが、フィーチェトーレは気にも留めず一目散にある場所へと向かった。
  バタン!!
 盛大な音と共に扉を開けると、そこは図書室だった。カウンターで作業をしていた顔馴染みの図書委員が気付き、フィーチェトーレに笑いかけた。
「早いのね、フィーさん。お昼休み、まだ始まったばかりだよ?」
「サボってたから」
「あれ、また?」
「ん。休み時間始まったからすぐに来たの」
 そこで話を打ち切ると、フィーチェトーレは図書室のさらに奥へと向かった。


-イルスの宿木- 1章-5

 ここ、テニカ・アクテール学園は、その蔵書の多大さを誇る図書室を保持している。量はもちろん、方面においても引けをとらない。
 フィーチェトーレが向かうのは、異国の童話を置いた一角だった。しばらく物色すると、一冊を選び出し、角の席に腰を下ろしてそれを読み始める。フィーチェトーレ以外に、人は来ない。おそらくは食事に向かっているのだろう。これでしばらくは静かに読んでいられる、とフィーチェトーレが内心ほっとしているところに、あの図書委員がやってきた。
「フィーさん、何読んでるの?」
「これ」
 訊かれたフィーチェトーレは短く答え、表紙を見せた。図書委員は、あっ、と声を上げると、これ読んだことあると言った。フィーチェトーレの手から本を奪い取ると、どこにあったかなー、などと一人ごちながら何かを探し、開いたページをフィーチェトーレに見せた。
「これなんか私好きだよー。面白い」
「そうなの?」
「うん、読んでみて!」
 それじゃあね、と手を振り、図書委員は去っていった。フィーチェトーレは、手元に視線を落とした。題名には「イルス」とある。ふーん、とそれをしばらくの間見つめ、その末に図書委員の薦めに従うことにした。

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あとがき

こんばんは、井上沙乃莉(sanori0128)です。
今回はフィーチェトーレの視点から。次回は童話の内容ですね。
ああ、悩みそう。
Tenika Ackteal テニカ・アクテール
学園の創始者の名前ですね。
Ils イルス
謎の名称。うむ。いや設定はあるんですけどね。
図書委員の名前は……後々(笑
それではこのへんで。
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