彼女が、城の窓から町を眺めている。
俺は箒を動かす手を止めて、彼女の姿をじっと見上げた。
それしか、できなかった。
ここはいわゆる城下町。天に高くそびえるように建つ城の所有者には一人の娘がいて、それが“彼女”だ。いつからの習慣かは知らないけれど、城の娘は外に出ることができず、6歳の時最初で最後、町へ下りてくる。その時に見初められた男が、娘の許婚になるのだ。
今、年頃になった彼女に見初められたのが、俺だった。
選ばれた身ながら、ばかばかしい習慣だと思ってしまう。こういうのは、本人達の気持ちが大事だと、おれは考えている。両親は、普通に恋愛をして結ばれたし、『見初められた』とはいってもたかが6歳の少女の戯れかもしれないんだ。喜んでられるか。
まあ、それは建前とも言える。最初、友達にもそう言いふらしていた。今は、悪くないと思っている。
彼女の髪は、細く長く、美しい金。瞳は珍しい、明るい赤。それらが、やわらかい光を放っている。それらが、好きだ。俺のつまらない黒い髪と緑の眼が、申し訳ないと思ってしまうほど、美しい。
でも、俺は彼女と将来を誓い合うことなんて、できない。
俺は。
彼女の兄さんを、殺してしまったから。
もちろん彼女はそれを知らない。けれど、事実だ。だから俺には、彼女と結ばれる資格なんてない。例え彼女が許してくれたとしても、俺は自分が許せない。
だから、許婚の男が城に迎えられる15歳を過ぎても、俺は上手いことを言って城下町に留まっている。例えば、荷物を売り払ってないだとか、仕事の契約が終わるのがまだ先だとか。そんな理由ができるように、俺は暮らしてきた。
城に行って、俺のしたことがばれるのが、怖い。
俺は、彼女が好きだ。彼女もきっと、まだ俺のことを想っている。
なのに、俺は絶対に彼女のもとへ行くことができない。
会えない。
「クルス君。クルス君!」
「……あ、はい、なんでしょう?」
「そろそろ時間だよ。お疲れ様」
店主に声をかけられて初めて時計を見た。確かに、昼の時刻を回っている。全く気付かなかった。
俺は店内に入った。骨董店。俺には価値の分からないものが、沢山陳列されている。オレンジがかった穏やかな光が、店を優しい雰囲気に仕立て上げている。そんな店内を通り抜け、商品が置かれていない奥の部屋に向かうと、いつもの通りテーブルに座る。すぐに、店主のリディアさんが昼食を出してくれた。
俺は現在、リディアさんの補佐として此処に勤めている。リディアさんは少し身体が不自由で、指先の細かい仕事が苦手だ。だから、俺が細かい作業を代わりにやったりする。それが、俺の仕事だ。でも、そんなことはほとんどないから、大抵は店の掃除なんかをやってる。
リディアさんは、いつも俺のために昼食を用意してくれる。料理が趣味なのだそうだ。一緒に飯を食べる人が居てくれると、なおさらやる気が出るとか何とか、いつも言っている。俺は料理が苦手だしあまり好きではないので、不規則な食生活を送ってきた。リディアさんの存在は、俺にとって結構必要不可欠なものになってきていた。
今日のメニューは、じゃがいものクリームスープ。これが、結構美味い。
特に交わす言葉もなく黙々とスプーンを口に運んでいると、ふと唐突に、リディアさんが言った。
「クルス君」
「はい?」
「君、どうするの?」
「……はいぃ?」
同じ言葉ながらも、困惑を多分に込めて俺は返事をしてしまった。ほら、とリディアさんは手の平を上に向けた。
「いつ、お城に行くのって」
「ああ、そのことですか……。準備ができたら、ですよ」
半分上の空で、適当に答える。ちょっと申し訳ないけど、本当のことを言ったら、きっとリディアさんは悲しむから。
すると、リディアさんは、
「そう……」
小さな声で言って、すっかり押し黙ってしまった。怪訝に思って、俺は訊いた。
「どうかしたんですか?」
「いやね。お姫様……待ってるんじゃないかなって思ってさ」
「そう……です、か?」
「うん。分かるよ、自分がお姫様の立場だったら……ね」
とんとん、と自分の胸のあたりをつつきながら、リディアさんは言った。何処か遠くを見るような瞳。首を傾けると、肩で揃えられた青緑っぽい綺麗な黒髪がさらさらと流れた。
「男の君には分からないかもしれないけどさ。そういうものなんだよ」
「そう……なんですか?」
「うん。凄く、切ない」
リディアさんが顔を伏せた。話しかけるのがためらわれる雰囲気。
「言うとさ、君は疑ってるんでしょ? ――そう、戯れだろうって。君が選ばれたこと」
「……はい」
「私は、そうは思わないんだよ。きっとさ、幼いお姫様は、君、って決めた時からずっと、君のことを考えているはずだよ。知っているだろう? 君だって」
「何を?」
「お姫様が、毎日毎日この町を眺めてること」
知ってる。知っているに、決まっている。何故ならば、俺も毎日城を見上げて、彼女の美しい姿を見ているから。
「あれ、誰を見てると思う?」
どうしてだろう。
何故か。
答えたく、なかった。
「君。でしょ? そうとしか考えられない。仮にさ、君以外の人を見ているとしても。彼女が町の誰を見ているっていうのさ。可能性があるのは、君だけだ」
リディアさんの言っていることに、間違いはない。
分かってる。そんなこと、分かってる。
けど、肯定も、否定も、できなかった。
「……で、も。リディアさんは体が……」
「ばかたれ」
すっと身を乗り出したリディアさんが、俺の額をピンとはじいた。
「私のことなんて、どうでも良いんだよ。これっくらい、へっちゃらだし。それよりも君のほうが大事抱えてるくせに」
そして、苦笑する。
「行ってやりなよ。彼女はきっと、待っているはずだぜ」
かつて生意気な少女だった女性は、その頃の面影を宿してにんまりと笑う。
「もう、今日から勘当してやるぞ。すぐ準備始めろ。行け。良いな?」
俺は答えた。
「はい」
To be continued...
-----あとがき-----
ええー、と。こんな感じで始まりましたが……期待に添えているでしょうか?
短編のはずなのに、かなり長くなってしまいそうです。
しかもラストをまだ迷っているという……ハッピー、バッドどっちにしましょ?
まあ、楽しみにしていただければ幸いです。