〈殺し屋〉綺羅
桜花舞う道の二人
-The road where a cherry tree flies-


 風が吹いて、視界に桜の花びらが舞った。
 其れと共に、彼女の鉄色の長い髪も翻る。
 舞い散る桜の雨の中に立つ彼女は、幻想的なほどに美しい。
 眼を奪われて、俺は立ちすくんでいた。

 振り向いた彼女は、色の違う瞳で笑った。
「どう? 此れが、わたしの仕事。それでも、貴方はついてくるの?」
 迷わず頷く俺に、彼女は困ったような笑みを見せる。
「ま、いいけど。此れは貴方の人生だし、わたしがどうこう出来るわけじゃないから」

 彼女に名は無かった。
 訊ねた俺に、彼女はどうでもいいことのように言い放ったのだ。
「貴方が決めてよ。わたしはどうでもいいの。でも、綺麗なのにしてね」
 俺が決めた名を、彼女は気に入った。だから、今もそう呼んでいる。
 “綺羅”と。
 ただ、『綺麗なのにしてね』と言われたから、“綺”つながりだ。
「さあてと」
 彼女――綺羅は、大きく伸びをして、俺に振り向く。
「ついてくるなら、いらっしゃいな。もう出発。待たないからね」
 歩き出す綺羅に、俺はついて歩き出した。

 俺は、綺羅に惚れている。


 俺の名は風上圭太。高校生だ。ただし、それは年だけで見た場合で、俺は学校に通っていない。勉強が分からなくなったから、退学しただけだ。
 春が来た。不登校の俺には時間がたっぷりあるし、することも特にはない。学校には行かず、町をうろついて過ごす。
 まあ、彼女に出来そうな可愛い女を探しているとも言える。
 その時、俺は彼女に出会ったんだ。
 長い髪を舞わせて、彼女は道を歩いていた。だが俺が惹かれたのは、金属めいたその不思議な鉄色に対してだけではなかった。
 眼の色だ。
 紅い右眼と、蒼い左眼。左右で色の違う瞳。夕日の右眼、海原の左眼。
 見つめられて、魅せられた。眼が離せなくなった。
 その瞬間、俺は彼女に心を奪われたんだ。


 彼女のあとをつけるのは、簡単だった。あの髪の色じゃあ、見失うわけにはいかないから。
 彼女の家を、つきとめようというわけだ。
 だが、彼女の家は、無かった。
 最初から、存在しなかった。
 だから、彼女はただ歩きずくめで、疲れた様子も見せないから淡々と歩き続ける。やがて俺を疲労が襲い、思わず近くの家の壁に寄りかかってしまった。ずるずると身を落とす。どうしてか、息が弾む。追い始めて一時間ぐらいは経ったか。歩き続けるだけというのは、つまらない。誰かと話していればそんなでもないのだろうが。
 その時初めて彼女は振り返り、俺に言った。
「さっきからついてきてるのは分かってたけど……貴方何者? 私に、何の用があるの?」
 息が切れて、答えられない。短気なのだろうか、彼女はすぐにふいと明後日の方向を向いてしまった。
「私についてきても、何にもならないわよ。さっさとママの待つ家に帰りなさいな」
 俺は母親のことをママなんて呼んでねえし、そもそも俺と同い年ぐらいなのに年下に対するような言葉遣いはやめてくれ。
 そんな視線を送ると、彼女は肩をすくめた。
「はいはい。怒りの感情はもう沢山。それこそ、やめてくれる?」
 怒りの感情? 何言ってるんだ、こいつ?
 確かにそうかもしれない。俺のものにならない苛立ちというのか。今までに彼女を作ったことはないが、よく映画であるし簡単にいくのではないかと思っていた。が、それは違ったようだ。
 俺は立ち上がって、ガッと彼女の肩を掴んだ。俺の突然の行動に、彼女は反応できずにされるがまま。
「あんた……名前は」
 やっとのことでそれだけ言うと、彼女は眼を見開いた――驚いたのだ。彼女の驚愕の表情。
「な、まえ……?」
「そうだよ……お前の名前だよ、教えろよ」
 せめて名前だけでも聞いておこう、と思ったから訊いたのだが、彼女は答えなかった。其れが俺の何かに触れ、怒りは頂点に達した。俺の問いに答えろよ。
「兎に角、教えろよ、このヤロ!」
 思わず激昂した。女に対してこの言い方はないだろうと、後から自分でも思った。だが、彼女は他の事に気をとられていた。
 彼女には、名前がなかったのだから。
「名前なんて……無いわ……」
 恥じるように下を向いた彼女の姿は、ただ普通の少女のように見えた。鉄色の髪を忘れさせ、色の違う瞳を忘れさせ。むしろ、それらを彼女を惹きたてるただの飾りに仕立てあげるかのように。
「……そうね」
 やがて口を開いた彼女は、こんなことを言った。
「なら、貴方が決めてくれれば良いわ。私の名前が知りたい貴方なら、きっと素敵な名前を考えてくれるって、信じるから。ただ、綺麗なのにしてくれれば良いわ」
 どういう理屈だ。俺はぼやいた。
「ほら、貴方が決めてよ。私は何でも良いから。でも、綺麗なのにしてちょうだい」
 どうでもいいって……それ、女の子の言うセリフか? しかしながら、ほらほら、と彼女は急かす。
「いいじゃないの。兎に角、決めてってば」
 結局、俺がつけた名前は“綺羅”だったのだ。
 彼女は、今日から“綺羅”だ。


 それから、俺は綺羅についていった。
 俺のことを意識してくれているのか、彼女は歩調を緩め、俺に合わせていた。
「何処に行くんだ?」
「行けば分かるわ」
 行けば分かるって……教えてくれたっていいだろう。
 心の中で毒づくが、彼女の言葉が真実であることは、すぐに分かった。
 其処は、俺にも馴染みの深い場所だった。


「小学校……」
「そう。此処で、私を待っている人が居るのよ」
 春を迎えた校庭は、色づく何本もの桜と舞い散るその花びらで桜色に染まっていた。
「綺羅を、待っている人だって?」
「そ」
 桜の並木道を、俺と綺羅は歩いていく。
「誰だ? お前の彼氏?」
「は? 彼氏なんて居ないわ。ま、居るとしたら、貴方じゃないの?」
 ぶしつけに訊くと綺羅は勝手に俺を彼氏にした。ならば、俺も綺羅を彼女ということにする。お互いにそう思っているのだから、言わなくてもいいだろう。かなり、うはうはだ。


「お待たせ。貴方が私を呼んだ人でしょ?」
 そこには、一人の男が居た。俺や綺羅とも同い年ぐらいの男だ。
 男は静かに口を開いた。
「君だね、〈殺し屋〉は」
「そうよ」
 男は綺羅を〈殺し屋〉と呼んだ。〈殺し屋〉だって? 物騒な単語が出てきたものだ。視界に入るこの景色と比べると、非常にミスマッチだ。
 一体、綺羅は何者なんだ?
「貴方が、依頼人。そうなのね?」
「そう。よろしく、〈殺し屋〉」
 あろうことか、男は〈殺し屋〉に頼みをしている。とても奇妙ではないか。誰か人を殺せって頼むのか。それとも、自殺を手伝えっていうことか? いずれにしろ、今の俺には分からなかった。
「兎に角、お話しましょ。そこらへん座りなさい。ほら、貴方も」
 ジーンズが汚れるのも構わず、地面に座る男。綺羅も地面に腰をおろしながら、俺にも声をかけた。呆然としていた俺は、我に返ってあたふたと地面に尻をつけた。そういえば昨日の夜雨が降っていた、そのせいだろう、かすかに湿っている。少し気持ち悪い。
「まず、貴方の名前から」
「杉本レン」
「レン? どういう字?」
「片仮名だ」
「あら、ごめんなさい」
「構わない」
 杉本レンと名乗る男は、そっけなく言った。
「わたしは〈殺し屋〉。たったさっき名前がついたわ。“綺羅”っていうの」
「綺羅?」
「そ。良い名前でしょ」
 綺羅は笑って胸を張った。そこまで偉そうにするならば、その名前を考えた俺にも感謝してほしい。
「だから、“綺羅”って呼んでね。で、こっちが……そういえば、名前聞いてなかったわね。何?」
 やっと聞いてくれた。今さらのようだが、俺は少しほっとしながら名乗った。
「風上圭太……? ふうん」
 膝の上に頬杖をついて、綺羅は相槌を打った。
「こっちが、風上圭太。一応わたしの彼氏みたいよ」
『みたいよ』って……お前が勝手に決めたんだろうが。
「で、レン。貴方は何故『消えたいの』?」
 消えたい。綺羅が言うには、レンはこの世から消えたいらしい。ならば、やはり自分を殺してほしいという依頼か、と俺は推測した。自殺願望者。やはり、この場所には少しばかり不似合いだ。
「……俺が居ても、この世は変わらず動き続ける。むしろ、厄介者扱いだ。ならば消えてしまいたい」
「死んでしまえば?」
「いいや」
 綺羅の問いに、レンは首を振った。
「死んでしまえば……両親に迷惑がかかる。だったら存在ごと消えてしまいたい」
「ふうん、なるほどね」
 何がなるほどだ。実は、綺羅って頭おかしいんじゃないか?
「失礼ね、圭太。これは『仕事』なのよ、好きでやってるわけでもないの。――さて、レン」
 むっとして言い返してきた綺羅は、レンに向いて、宣言する。
「私は貴方の依頼を受諾したわ。今、ここで消える覚悟は有るの?」
「有る。俺は今、ここで消えていい。未練は……無い、居ても居なくても変わらないんだから、未練なんてあるはずがないだろう」
「ま、それも一理あるわね」
 ウンウンと綺羅は頷く。何が一理あるだ。俺にはまだよく飲み込めていないんだから、ちゃんと説明しろよ。
「別に、貴方がわたしについてきてれば、いつか分かるわよ、説明しようと試みるだけムダだと思うけど」
「早くしてくれ」
 レンが口を挟んだ。そうだ。まずはこの男の言うことが最優先だ。綺羅もそう考えたらしい。口論をやめて立ち上がり、レンに向かって問う。
「最後に。貴方はどうして、ここを選んだの?」
 レンは、しばし考え、ゆっくりと口を開いた。
「……ここが……思い出の場所だから。穢れを知らない幸せだった俺が、ここに在った。ここで始まった。ここで消えていきたい」
「了解」
 綺羅は辺りを見回し、積もった桜の花びらの中から何かを掴んだ。そして俺に言った。
「貴方、下がってて」
 俺は言われたとおりにした。ここに居る杉本レンという男を消すんだから、あまり近くにいすぎると俺まで巻き込まれるだろうから。せっかく彼女が出来たのに、死んでしまうのは嫌だ。死ぬのではなく消えるのか。まあ、どちらでも良い。
 彼女がその細い指で掴んでいたのは、桜の枝だった。短い、桜の茶色い枝。
「覚悟はいい?」
「ああ」
 彼女の瞳が煌いた。長い髪がざわめく。その時、彼女はこの世のものとは思えないほど、幻想的に見えた。聖なる天使か。神秘の女神か。
 綺羅がさっと腕を振り上げる。足の辺りに振り下ろす。シャンッ、と聖なる音がして、細い一本の糸が切れた。レンの足が、塵(ちり)となって消えていく。
「もう、戻れないわよ」
「いい。今さら後悔しても遅い」
 シャンッ。
 光輝を発し、胴が塵と化す。
「次、腕」
 シャンッ。
 左腕が消え、右腕が消える。
「さあ」
 シャンッ。
 上半身も消滅し、最後に残ったのは、男の顔。宙に漂(ただよ)っている。何故か穏やかな顔をして。その下、胴体と繋がっていた首の部分はどうなっているのだろうか、想像をめぐらせようとしたのだが、いかんせん、目の前の光景に眼を奪われて考えられない。
「最後よ。力を沢山使えば、もとに戻せるけど。良いの?」
「良い」
 男だったモノは、横に首を振るように頭を震わせた。綺羅が枝を振りかぶる。最後の最期、その時になって、男は慌てたように口を開いた。
「最後に! 一つだけ。ありがとう、〈殺し屋〉綺羅。俺の望みを果たしてくれて。ありがとう、風上圭太。綺羅を止めずにいてくれて。ありがとう、俺を消してくれて」
「まだ、消してないけれど」
「兎に角、ありがとう」
 俺は何も言えずに、綺羅が枝を振り下ろすのを見ていた。綺羅の表情は、憂いを帯びている。本当に女神に見えてきた。俺にとってはだがな。
 桜の枝が男の頭の上を横様に通り過ぎ、男は霧散して、消えた。
 存在ごと、消滅した。
「本当に……良かったのよね……杉本レン」
 消えそうな声で、綺羅は呟いた。
 桜の雨が降り注ぎ、彼女を覆いつくした。
 世界が桃色に染まっていく。


 綺羅は、長い時間立ち尽くしていた。
 振り向いた彼女は、色の違う瞳で笑った。
「どう? これが、わたしの仕事。それでも、貴方はついてくるの?」
 迷わず頷く俺に、綺羅は困ったような笑みを見せる。
「ま、いいけど。それは貴方の人生だし、わたしがどうこう出来るわけじゃないから」
「そうだ。これは俺の人生だ。だから、俺が決める」
「あっそ。でも、此れは『運命』ってものよ。わたしが〈殺し屋〉をしているのも、貴方がわたしに惚れて、ついてくるのも『運命』」
 綺羅の言うことはよく分からない。というか、惚れたなんていつ分かったんだ。
「分からないなら分からないでいいわ」
 半ば諦めたように、綺羅は首を振った。
「来るなら来なさい。その前に、一度親御さんに挨拶しましょうか。家どこ?」
 こうして、俺達の旅は始まった。


「そういえば」
 後々、ふと思った俺は綺羅に訊ねてみた。
「なあ」
「何よ」
「あの杉本レン、あいつは『消えた』んだろ? 存在ごと。だったら、どうして俺達は未だ憶えてるんだ?」
「そんなこと、もっと早くに訊きなさいよ」
 綺羅はあきれ、それでも答えた。
「あれはね。一つの“儀式”なの」
「存在を消す“儀式”?」
「そ」
 うん、と頷いて、綺羅はスティックパンをほおばった。
「はむはむ……ん……この存在を消すという“儀式”は、わたしだけが出来る特別なものなの」
「綺羅だけが?」
「そうなの。此れも『運命』……いいえ、『宿命』。『使命』なのよ」
「運命に宿命、使命か……めいめいめい」
 命シリーズだな、と思った俺はそう言った。それだけで綺羅に意味は伝わったらしい。
「うるさいわね」
 綺羅はツンと横を向いた。
 兎に角、綺羅は『宿命』を背負っているということだ。


Fin