紅耀燐 白風花 黒冥螺  
   

五界姫譚 白風花

1「あの山を越えた先に、彼女が待ってる」

3

 風花一人だけのはずだった旅は珀桐が加わり、二人になった。
「風花様、北に向かうんですよね?」
 そう、珀桐は無邪気に尋ねてくる。しかし、風花は首を横に振った。
「いいえ、南へ行くわ」
「えっ? じゃあ北とは正反対じゃないですか! 南へ行くって、母上様にもおっしゃ……っ」
 言いかけた言葉は、珀桐自身の規制によって止められた。しかし、止める前の単語で言いたいことは伝わってしまった。風花は微笑ましいような苦々しいような、微妙な感覚を覚え、確認するように訊いてみた。
「珀桐、母様に言ったんだね? 自分も家を出ることと、私がどこへ向かったのかと」
「……はい、そうです」
 観念したように、少しばかり縮こまって珀桐は漏らした。それについて深く追求することはなく、風花は南へ向かう目的を伝えようと考えた。どういえば良いのだろうと、思考をめぐらせ言葉を選び出す。
「会いたい、人がいるんだ」
「会いたい人?」
 珀桐が首を傾げる。それは当然だ。風花は今まで、このことを誰にも言ったことがない。父にはもちろん、母にも、乳母にも、珀桐にも。ずっと自分の胸中のみで想いを募らせ、雪と同じぐらいに“会いたい”娘がいた。どんな姿で、どんな性格で、どんな言葉で、どんな世界だろう。
「炎のような髪と、柘榴石の瞳を持っているんだそうよ。巷(ちまた)では“炎の娘”と呼ばれてる」
「それって、紅耀燐、殿?」
「そう」
 紅耀燐。白家の掘り出した金属を加工して、刀やその他を作り出す紅家の、跡取り娘。“炎の娘”は尊称で、優れた炎術使いだという。しかも、神が憑いている。年齢は風花と近く、紅耀燐が風花よりも一つ下らしい。それよりも。
 何故、同じ色彩の瞳を持つにも関わらず、称され方が違うのだろうか。
 紅耀燐は、それを讃えた“炎の娘”。
 白風花は、それを厭うた“悪魔の娘”。
 それが、風花にとっては大きな疑問だった。紅耀燐に会って、責めるとかそういうのが目的ではない。ただ何故なんだろう、というものだった。会って、耀燐の人となりを知りたい。その上で、納得できたら良いと思う。紅耀燐は紅耀燐、私は私と、割り切れるようになりたかった。
 風花は小さい時分から、顔に出さないながらもそれに悩んでいた。そう呼ばれることと、それに変にこだわってしまうことに。
「紅家は南のほうにあるでしょう。だから、そこを尋ねてみるの」
「え、でも雪は」
「良いのよ、いつでも見れるわ」
 北に行けばね――。
 という一言は口にせず、風花は南を見据えた。一見北に向かっているように見えるこの道は、実は途中で南へ迂回する分岐点がある。そこから、耀燐の住まうであろう紅の屋敷へと歩みを進めるという予定だった。
「さあ、行くわよ珀桐」
「はいっ」
 まずは分かれ道まで。そこで、私は一つの道を選択する。その先にはきっと、目指すものがあると信じて。
 風花は珀桐を引き連れ、一歩を踏み出した。

 

 分岐点は実際に存在し、風花の持ち出した地図が正確であることを証明した。
「さすが、父様のお持ちになっていた地図ですこと」
「旦那様は常に最新版を入手していらっしゃいましたよね」
「ええ。だから、一つ古い型なんだけど、問題はないでしょうね」
 多少使い古されたように見受けられるその紙片を折りたたみ、風花は荷物の中へ入れた。こんなところで父親に助けられている気がして、しかしそれを持ってきたのも自分であると思いなおし、不満を押し殺した。
「さて。南下するのはどちらの道ですか?」
「東よりに伸びる道――そうね、右よ」
「はい、右ですね」
 ぱっと見、北へ向かう道よりも、迂回して南へ向かう道のほうが使われているようだった。理由は単純明快、北へ行く人が少ないためであった。特にこれからの季節、北方地方は非常に気温が下がり、寒くなる。また、特にこれといった名物があるわけでもないため、観光客は訪れない。
 ただあるといえば、完全に氷だけでできた洞穴や、オーロラが大陸のほぼ最北端で見られるが、それももっと冷え込みが激しくなってから、さらに寒い地方においてのみなため、やはり利用頻度は少ない。
 南下する道を辿ると、すぐに町がある。必要最低限のものは大抵揃う町であると聞いているため、風花はそこである程度の食料等を入手するつもりでいた。さらに、何か必要そうなものがあればそれも。金銭はまだ、充分あった。
「町はそんなに先じゃない。日暮れ前には余裕で着くわ。焦らないでね」
「はい、大丈夫です」
 しっかりと珀桐が頷く。それを確認してから、風花は足取りはそのまま、気持ちを緩めた。まだ、ちょっとした散歩だと思っていれば良い。そんなに気を張る必要はない。最初の町を発ったら、気を引き締めていこう。ここは、普段も時々歩いている道だ。
 そして、二人は予定通り、その日のうちに町へと到着した。