紅耀燐 白風花 黒冥螺  
   

五界姫譚 白風花

1「あの山を越えた先に、彼女が待ってる」

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「ん〜……」
 眩しい日の光に目が覚める。腕を掲げてそれを遮り、まぶたをぱちぱちとしばたかせながら少女は上体を起こした。
 敷布の上に広がる長い頭髪は、雪のような透き通る白。
 少女はうーん、と腕を伸び上げて唸った。
「……風花様……風花様! 朝の食事のご用意が整っておりますよ!」
「今行きますー」
 彼女――白風花はよく通る声で言葉を返した。扉の外にいるのは、風花が赤子の頃から面倒を見てくれた乳母だ。今では結構年を食ってしまって、すっかりしわも増えている。けれどその分、穏やかな気性の彼女を、風花は気に入っていた。
 よっ、と声を掛けて風花は寝台から降りた。軽い運動の後手早く身支度を済ませ、危なげない足取りで部屋を出て食堂へと向かう。
 その間、彼女の目は閉じられたまま。
「おはようございます、お父さ……」
「おはようございます、風花様。ここには今現在僕と風花様だけですよ」
「あら、珀桐」
 迷うことなくたどり着いた食堂。少年が一人だけ、そこにはいた。十歳前後で、まだ幼さの残る可愛らしい顔つきをしている。赤子の頃風花の家の門前に捨てられていて、風花の希望で引き取った子供だ。琥珀のような瞳と、桐の樹皮のような灰白色の髪から珀桐と名付けられた。苗字は、風花と同じ白を名乗っている。
「旦那様は、すでにお出かけになられました。急用だそうで」
「そう」
 じゃあいっか、と風花は呟きまぶたを開いた。その下から現れたのは血の色の瞳。
「風花様、今日もお綺麗です」
「ありがとう」
 その言葉は、毎日のように繰り返される。それが珀桐なりの慰めであり、また彼は本気で言っているのだと分かっているから、風花も舞い上がったり邪険にしたりしない。
 風花の父親は、娘の瞳を嫌っている。血を連想させるから嫌いなのだと事あるごとに言っている。だから、風花もそれを見せないために瞳を閉じて食卓に現れる。見なくても周りに何があるか、手に取るように分かるために努力をした。今では、目隠しをしてでも街中を歩くことができる。
 開けた視界に満足げにすると、風花は席についた。後を追うように珀桐も席につく。年頃が近いということがあり、二人は一緒に食事をとることにしている。それは使用人も両親も了承している。
「いただきます」
 丁寧に手を合わせてから食事を始める。無駄な話はせず、迅速に事を進める。手早く食事を済ませた風花は、もたついている珀桐に声をかけてから席を立った。

 

 急ぎ足で自分の部屋に向かう。少し見回してから、以前から用意していた包みを手に取った。中には布や金銭、薬などを入れてある。風花の、出かける際の持ち物だ。
 しかし今回は、長くなるだろう。
 風花はもう一つ、細長いそれを手にした。覆っている布を剥ぎ取ると、精巧なつくりの鞘と柄が現れる。風花の愛用している刀、銘は“白雪”。刃を抜けば、まるで雪のような白い刀身が姿を見せる。
 それをしばらく眺め、やがて再び鞘に戻す。風花はそれを携えて部屋を出た。
 向かうのは、母の部屋。
「母様」
「ああ、風花かい」
 花瓶に花を差していた母が、風花の呼び声に振り返る。失礼します、と言って風花は入室した。まっすぐに母の隣へ行き、単刀直入に話を切り出した。
「母様、私、今日から旅に出ます」
「一体どうして?」
 驚きもせず、母が聴き返してきた。穏やかな目つきで花の角度を調整している。風花も迷わず答えた。
「雪が見たいのです」
「では、北へ行くのかしら?」
「はい」
「そう」
 そこで始めて、風花と母の視線が絡んだ。蒼い瞳を子供のように煌めかせ、いたずらそうに口元を笑わせる。
「私に、どうしてほしいのかしら」
「祈っていてください」
「祈る?」
「私の無事を」
「ええ」
 短い返事。しかしそこに沢山の愛情が籠っていることを感じ取った風花は、そこで退散することにした。家をあける理由は伝えることができた。父はいない。これで、心置きなく出発できる。
 最後に一言、言った。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」