紅耀燐 白風花 黒冥螺  
   

五界姫譚 紅耀燐

1「私は、世界を見てみたいのよ」

5

「耀燐殿。町はどうでしたか?」
「ええ。とても興味深かったです」
「ほう」
 感心したように、晋延はあごに生えたひげをしごいた。
「例えば、どんな」
「教会、とか」
「……アリム教会ですかな?」
「はい、そうです。晋延殿らしくて素敵でした」
 思ったことを率直に伝えると、晋延は声をあげて笑った。場合によっては皮肉としてとられてしまうその言葉を、晋延はそうは受け取らない。眼を細めたまま、続ける。
「そーうですか。それはどうも、ありがとうございます」
 その様子は孫娘を愛でる祖父のようで、まるでそのまま少女の頭を撫で始めそうでもあった。そう想像して、耀燐は急に気恥ずかしくなった。しかしそれは表に出さず、食事を再開した。晋延もそれに続く。昼食を終えると、耀燐は清浪を伴って再び町へ降りた。
 もう一度だけ酒場を提案してみたものの、清浪はやはり反対し、それどころか行こうとするならば晋延殿の屋敷に連れ帰り、今日の外出はなしだとまで言ってくれた。さすがにそれは困るので、耀燐は潔く引いた。そして、市場なら良いでしょうと強引に歩き出す。怒ったふりをすると、清浪は気持ち良いぐらいに慌て、耀燐に従う。その様子が面白くて、耀燐はどんどん先へと進んでいった。
 ここは晋延が拠点を置く町、波英である。商人達の集まる波英が賑わわないわけがない。波英の市場は、他に類を見ない大規模なものとなっており、波英に来れば何でも手に入る、とははるか北の地においても囁かれる言葉である。
 耀燐は露店の品々を興味深く眺め、乾燥させた果物を数種類、購入した。また、小刀を一振り、選ぶ。それは、色も技巧も、家で見たものに非常に類似しており、ほぼ同じものまで見た覚えがあるという、紅家の技で磨かれたものだった。それに父の手は触れていないと耀燐は見、ならばと購入してしまった。
 店の主と話をしているうちに、陽は傾き始める。清浪が耀燐に声をかけ、二人は晋延邸へと戻ることとなった。
「何か、面白いものはありましたかな?」
「さすが晋延殿、波英に眼をつけるとは。賑わいの凄い市場でした」
「元はここも、そこまで豊かな土地ではありませんでしたよ。まあ、人もいるし平和で、港があるから私は波英を選んだのですが」
「やはり船で品物を運ぶんですね」
「左様。遠い地の物資は、人の手や車で運ぶと時間も手間も大幅にかかりますからね」
「じゃあ、晋延殿が波英を選んだから、ここは発展したんですね」
「いやあ、そう言われるとそうかもしれませんねぇ」
 あっはっは、と晋延は豪快に笑った。思わず耀燐も笑い、清浪は相変わらず無表情だった。清浪は残って晋延と話をしたいことがあるというので、耀燐はおとなしく部屋へ帰ることにした。
 先ほど市で手に入れた干し桃を一つ、口に放り込む。だんだんと甘みが口の中に広がっていくそれは、じわじわと浸透していき癖になりそうだった。耀燐は一つ目で自制し、入手したばかりの小刀を取り出した。
 眺めれば眺めるほど、刀身は美しく、紅家特有の赤みが眼に入る。それはどうやら、兄によって打たれたものだと、耀燐は見当をつけた。兄の刀は、優美で美しく、にもかかわらず無駄はないという、実用性としても優れている。人となりを表すとは、まさにそれ。耀燐の兄月華は、男とは思えないほどの美貌を持ち、また装飾からしてほぼ確実に女性と見間違われてしまう。本人もそれを面白がっているから、また性質が悪い。
 その兄を思い浮かべ、手の中の刀に眼を落とせば、自然二つの像が重なって見える。兄のことは、嫌いではない。ふと思い出し、兄から授かった一組の弓矢を荷物から取り出した。
 二つを寝台の上に並べ、弓矢を見、小刀を見る。
「こっちが夕月……こっちが、有明」
 月華より、月に関する言葉を与えてみる。ちょっとした思い付きだったのが、口にすると案外気に入ってしまい、耀燐はそれを採用することにした。確認の意味も込めて、もう一度繰り返す。
「夕月、有明」
 夕方に消えゆく月と、明方に生まれゆく月。
「……うん」
 耀燐はそっと呟いてやわらかく微笑み、二つの月を胸に抱え込んだ。