紅耀燐 白風花 黒冥螺  
   

五界姫譚 紅耀燐

1「私は、世界を見てみたいのよ」

4

 色の変化をしばらく楽しんだ後、耀燐は清浪と共に防波堤の上を歩いてみる。時折強い風が吹いてくると、時々バランスを崩しそうになった。それでさえ笑ってしまえる余裕が、今の耀燐にはあった。
「酒場って、行ってみたいな」
 耀燐がぽつりと漏らした。清浪が慌てて止める。
「駄目だ。酒はまだ早すぎる」
「……清浪、私がもうお酒飲んでることぐらい知ってるくせに」
 耀燐は、紅家の跡継ぎである。もちろん、色々な宴会などにお呼ばれもしており、その際に多少の酒は口にしたことがあった。そのため、そこらの同年代の少年少女達より自信があったのだが、清浪は頑なに首を横に振った。
「駄目だ。お前の歳で行ったら、狙われる」
「ふーん。どんなお酒があるのか、見てみたかったのに」
 そう言ってみせる耀燐の表情は、今までと変わらず楽しそうだった。あっさりと別の案を持ってきた。
「うん。それじゃあ、とりあえず教会とかあるのかな?」
「あるだろう。晋延殿は信心深いから」
「そうね。行きましょ」
 大商人である晋延は、数々の教会を建築したことでも有名だ。アリム教。祈りによって神に加護と許しを乞うというもので、晋延はアリム教を深く信仰していた。そして、そこに土地絡みの宗教がなく、かつ商売の拠点となりえるであろう土地に教会を建てていった。
 この町にあるアリム教会は、簡素な造りをしていた。
 土地はほぼ正方形。白い壁に赤煉瓦の壁。窓は四方の上部に設置されており、ステンドグラスがはめ込まれている。それもごく薄い色で、少し眼を凝らしてみて初めて色が付いていると分かる程度だった。
「晋延殿らしいわね」
「何が」
「簡素なあの教会よ。ぎらぎらしてるの、嫌いそうだもの」
「そうか」
「ええ」
 頷いた耀燐は、教会の扉に手をかけた。壁と同様、白い扉。取っ手の色は銀だが、素材が銀であるかは分からない。耀燐はそれを押した。軋んだ音をたてながら、扉は開いていった。
「良いのか、勝手に」
「大丈夫じゃないかしら」
 耀燐が先に中へ入り、清浪が扉を閉める。大きく薄い色の窓があるせいだろうか、教会内は意外と明るかった。内壁は、外壁と同様白。人はおらず、現在は耀燐と清浪の二人だけのようだった。奥には鍵盤楽器が一台あり、そちらへ向けて数台の長椅子が置いてある。
「たぶん、誰かがあれを弾いて、司祭様が前に立って、信者が長椅子で祈るのよね」
「おそらく」
「楽器はさすがに悪いけど、椅子に座るぐらいは構わないわよね」
 清浪は否定しない。耀燐は足を進め、臙脂色の長椅子に腰を下ろした。座り心地は、やわらかくはないが悪くもないといった様子で、背筋を伸ばすにはちょうど良かった。しばらく眼を閉じ、無心になってみる。
「何か、静かで心が落ち着くわ」
 一つ感想を述べると、耀燐は立ち上がった。開いた瞳で清浪を見て、楽しそうに提案した。
「今度、晋延殿に頼んで、お祈りに参加させてもらわない? ちょっとやってみたいわ」
「耀燐がそうしたいのならば、そうするのが良い」
「うん。……行きましょ」
 二人は外へ出た。惜しげもなく教会を後にすると、次に向かったのは広場だった。
 人々の交流の場となる広場の中央には噴水が置かれ、しゃわしゃわと水を噴き出している。その周囲では子供達がはしゃぎ回り、さらに外側で母親達が会話をしている。耀燐は噴水に興味津々で、傍まで寄ると水を手ですくった。
「冷たい。けど綺麗。どんな仕組みなのかな」
「生憎だが知らない。悪い」
「ううん、大丈夫」
 その拍子に、落ちた水がはねて耀燐に降りかかった。量はごく少ないものだったのだが、経験のない耀燐は驚き、思わずきゃっと声を上げてしまう。たちまち清浪が焦り、その表情を見て耀燐は笑い声を上げた。清浪は恥じるようにむっすりと黙り込んだ。
「ただの水だよ?」
 笑いを含んだ声に、清浪はさらにむくれる。あまり表情には表さないが、雰囲気でびしびしと襲い来る不満感に、耀燐は可笑しさを隠し切れないようだった。
「清浪、大人気ない」
「…………」
「大人といえば、清浪って何歳?」
「…………」
「だんまり、なのね」
 まあ良いわ、と耀燐は噴水へ背を向ける。日の傾き加減を見ると、そろそろ天頂へと差し掛かる頃合い。昼食も晋延邸にてご馳走になることにしていた。今度は耀燐が、焦りを声に滲ませた。
「清浪、そろそろ戻ろう。待たせちゃう」
「ああ」
 そうは言いつつ、足取りは多少速めになっただけで駆け足にはならない。数分後、耀燐と清浪は晋延邸に到着し、門番による歓迎を受けていた。