紅耀燐 白風花 黒冥螺  
   

五界姫譚 黒冥螺

 それは唐突に、視界に入ってきた。
 木々が左右に立ち並び、密を増してゆくのみのある意味単調な道を歩く中、一際黒い木影を背景に、標準的な大人の背をも超すような大磐が現れた。その上に白い“それ”は居た。
 白い髪。赤い眼。薄い胸に細く長い肢体、薄絹の衣。
「……ほう」
 磐の上に腰掛け、“それ”は笑った。
「見事に同じ顔をしておる。圧巻よの」
 村里でも見ることのない“人”の姿に、二人は手を繋いだまま立ち尽くした。磐上の彼か彼女は、余裕げな雰囲気を纏いながら、瓜二つの童を見下ろしていた。
 白いのだ。透き通るような白さを持っているのだ。“それ”の肌は、人間の持ち得ない白を有し、瞳は濁り一つない煌々とした赤を宿していた。
 また、女性のような優美な肢体をしながら、決して幼いものではないにもかかわらず、胸には膨らみが見えず男性の如く平らだった。腕も脚も指も首も、細く折れそうでありながら芯が無く柔らかそうでもあった。
 未だ嘗て出会ったことのなかったものに、二人は竦んでいた。
「……さて。贄を二人頼んだ覚えはないのだがな、まあこれも良かろう。側へ寄れ」
 長い真珠の爪に招かれ、二人は惹かれるように大磐に歩み寄った。腕を伸ばして磐肌に触れるか触れないかというところで立ち止まり、“それ”を見上げる。
 その瞳の奥に、温かな光を見つけた。
「貴方が……魔物、ですか」
 口を開いたのは空遙だった。“それ”は可笑しげに笑った。自らを嗤笑するかのような笑い方だった。
「ふむ、人にはそう呼ばれているようだな。正確には妾は魔物ではない」
「では、何なのですか」
「妾は神の臣属よ」
 続く空音の問いにも、“それ”は親しげな応えをする。思わず二人は顔を見合わせた。思いもしないモノに出会ったものだ。
「魔物ではなくて……神?」
「左様。本来この土地には魔物などおらぬのだよ。覚えておおき」
 空音は大きな瞳を見開き、空遙は納得したように頷いていた。何が気に入ったのか、“それ”は喉の奥でくぐもっ
た笑い声を上げた。 「望まぬにもかかわらず贄が二人もやってきた上、しかもさして怯えた様子を見えぬ、まこと愉快なことよ」
 その言葉から察するに、過去の〈贄〉は二人以上に恐々と怯えたらしい。度胸のない、と空音は自らを奮い立たせ、自分達は神の望む贄なのか、と空遙はどこか誇らしさを感じていた。
 “それ”が神と呼ばれる存在であると半ば信じる空遙を尻目に、もしかするとやはり魔物かもしれない、と疑いを捨てず構える空音は、問うた。
「どのような神なのですか」
「ん?」
 短い問いに問い返す“それ”へ、空音は言葉を繋げた。
「貴方はどのような神なのですか。私達は、ここには魔物が棲まうと聞いてやってきた。しかし貴方は、神の眷属なのでしょう?」
「いや、妾は神の臣属よ。冥王の代替者。冥王は冥府の王にして神であるからして、その代替者である妾は神の臣属となる。妾自身は、神そのものではないのだよ」
「代替者……」
「神と言えど、一つ身で世界全てを見ることは能わぬからの。冥王に信を置かれた者のみが、主君の代理として名乗り、動くことを許されるのよ」
「贄を求める神ですか」
 空遙が言う。
「今年贄として選ばれたのは空音です。けれど僕はずっと空音と居たい。それが叶わないのならば、共に僕も食らって下さい」
 それを聞き、毒気を抜かれたような顔をした神の臣属は、弾けるように笑い出した。
「『食らって下さい』と! 今まで数多くの女童がやってきたが、自らの身を差し出す男童など、未だ出会ったことがなかった!」
 心底可笑しいらしく冷然とした顔を歪め、腹を抱えて“それ”は笑う。そのような反応を全く予想していなかったため、空遙も空音もきょとんとして、“それ”が落ち着くのを待つ他なかった。
 やがて一つ大きく息を吸い、吐いた“それ”は、それまでより幾分目元を和らげ、どこか愛おしげな視線を双子へ注いだ。
「期待に沿えぬ申し訳なきこと、しかしお主を食らうわけにはゆかぬ」
「何故ですか! お願いします、どうか」
「そう焦るでないよ。理由は正しく教えやろう。何故ならば贄は食らうために求めるのではないからだ」
「え?」
 予想し難い状況の展開に、ただただ呆けるばかりの二人に、“それ”は続ける。
「妾が主――冥王は、確かに〈贄〉を求める。妾のような者が、地上にいることからも、分かるだろうな。しかし冥王は〈贄〉を食らいはせぬ。冥王は人を食らわぬのだよ。
 冥王は人を食らわぬ。何故ならば、食らう必要がないからだ。生物を食らって命を永らえるような、低俗な神ではない。
 ならば何故〈贄〉を求めるかと、何故ならば臣属を増やすため。
 冥王は、命を操る神。冥王が気を変えるまでの、半永久の生さえ与えることができるのよ。〈贄〉は、地上にて妾のような臣属が受け取り、冥府へと導く。其処にて冥王が半永久の生を与え、臣属と成す。
 何故わざわざ人間の娘を求めるかと、何故ならば冥王が人間を好んでいるため。
 条件は髪が長く処女であること、何故ならば冥界への適応性が高いため。
 地上と冥界は別次元。肉体をそのまま連れてゆけば、場合によっては壊れてしまうこともある。長い髪は霊的な力を宿し、持ち主の肉体を保護し冥界と調和する助けとなる。
 また男と女では、見ると女のほうがより死に近いということ。生きながらも死の要素を持つということ。また処女であることは、子供を生む力がないということ――生も死も生み出さないということ。男と交わっていないということ。
 これらの理由から、髪の長い処女が求められるのだよ。食らうためではない、冥王が臣属を求めるためだ」
 混乱したままの二人に一切口を挟ませず、“それ”は独白のように語った。そも、二人は発するに適した言葉を見つけることができずにいた。
「少し、話してゆくか」
 そう、苦笑して神の臣属は言った。
「すぐに冥府へ降らねばならぬこともない。何より妾が、お主らと語り合ってみたいからな」