翫が小屋の扉を開けると、冥螺の髪を結わえていた反が振り返った。床に座り込む濁が顔を上げ、翫の後ろに黎を認めて迎える言葉を紡ぐ。
「お、おかえりなさい黎さん」
「まあ、翫も黎もすっかり濡れて。殿方ももっと気を払うべきですわ」
丁度結わえ終えた冥螺の髪を撫でると、反は布を二枚取り翫と黎に手渡した。翫は素直に礼を述べる。黎は無言で小さく頭を下げるのみに留めたが、反は確かにそれを認めたことを軽く頷いて示した。
「おう。どこ行ってたんだ黎」
「少し……そこまで」
多くを語らない黎に、同年代で親しみを感じていたのか、乱が少し寂しげに、つれねーなぁと零した。埋は自らの相方を伺うのに集中しており、反応一つ見せない。影は窓際で外を睨んでおり、扉が開いた時に一瞥をくれたのみだ。深く干渉しようとはしない空気に、翫が密かに安堵の溜め息をつく。黎は、あまり人との関わりを望まないように見えた。
「……さて、雨が止んだら出発?」
翫が冥螺へ向けて問う。冥螺は是と答え、腰掛けていた寝台からゆっくりと立ち上がる。反がすぐさま駆け寄り、その背の埃を叩く。それが済んでから、沈丁花の花をずっと暗くした色の瞳で、冥螺は黎へ視線を向け、問うた。
「後悔しているか?」
「何を」
いささか面倒臭そうに、黎は応じる。冥螺は動じず続けた。
「我と共に来たことを、よ」
その問いに、今やその場の視線は冥螺と黎に注がれていた。きょとんとする影や濁、反は冥螺を不思議そうに見つめ、乱やまさに無関心だった埋までも黎を見やる。二人の間に挟まれる形となった翫のみが、そっと瞳を閉じて黎の少し後ろへと下がった。
「後悔など……」
「ならば何を躊躇っている?」
目を逸らす黎を冥螺が追う。黎の左手がそっと動き、腰に繋がれた剣へと向かう。その柄を弄り、黎は思考から逃げる。短い言葉だけを放った。
「何も」
「人を殺したことか? すでに死した身であることか? お前には何か未練があるのか?」
「……何も!」
それまでと比べいささか強い口調で、黎が否定する。その否は、終わりの一文だけに向けられていると、誰もが悟っていた。つまりは、前の二文は正であるということ。冥螺が息を吐いた。
「皆、同じなのだよ」
その言葉に黎の肩が揺れたのを、彼の背後に立つ翫は見た。黎だけでなく、“皆”と称されて残る五人が全て、冥螺を見た。
「この場にいるものは、皆そうだ。我を除いてな。黎。影も、乱も、濁も、翫も、埋も、反もそうだ。お前が誰かを殺したように、皆誰かを殺している。お前が既に死しているように、皆死している。死して尚ここに居る。我が居るからだ」
ぐるり、冥螺は一同を見回す。
「我がお主らを蘇らせた。――否、お主らという存在を新たに生み出した。此処に居る者は皆同じ、我に集いし者共よ。だから何も怖れることはない。我に従えばそれで良い。分かるか?」
その言葉に黎以外が全て頷く。影と反は高揚に頬を朱に染め、濁と翫は穏やかに微笑み、乱は苦笑を浮かべながら、埋はまるで当然の如く。ただ黎だけが未だに躊躇いを見せるかのように、微動だにしなかった。冥螺は困ったように、微かに眉を寄せた。しばしの思考の後、彼女は一人へ向けて付け加えた。
「黎。お主が我が従者の一人目よ。ただひたすらに我に従えば良い。お前が従わねば他の者が従う道理がない。お前は我が導きに従った。これ以降もそれを続けることだ。そう自らで選んだのだろう?」
そして、黎は膝を折る。雨は今にも止みそうな具合に弱まり、遠くの空では切れた雲間から陽が差していた。旅立ちの時、彼は主へと膝を折った。
冥螺は満足げに笑みを浮かべた。
「さあ……いざ行こうか。我が館へと」