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 こんなに重い本、持ってこなければ良かったわ! ちょっとだけ後悔しながら、エリルとシュンスケのところへ戻る。まあ、読みたかったんだし、良いわよね! きっと後々必要になるものだろうし。うん。
 その本は、色々な植物の解説……図鑑みたいなものと、薬のレシピが両方載っているという、重くて大きいのが玉に瑕(きず)な優れもの! こっちの分野に関してだけは、きっと私のほうがシュンスケより詳しいわね。それが嬉しくて、私はエリルにどんどん語った。語って、語って、語ってあげました! エリルは少し困ったように、でも面白そうに聞いてくれたわ。
「はあ、マユさ、……マユ、凄いんですっ、凄いんだね」
「まぁねー」
「だろ? 変なところで詳しいんだよなー、これが」
 エリルはまだ砕けた口調には慣れていないみたい。どんな生活をしていたのかしら、って思うくらい、しつこく敬語なの。だから毎回毎回詰まって、でも直そうとしてくれるところが私にとっては嬉しかった。さすがにしばらく喋っていれば少しは流暢なタメ語になってくるのだけれど、流暢なタメ語、なんて表現初めて聞いたわ。自分で言ったんだけれど、ね。
「……!」
 突然、シュンスケが微かに体を震わせた。な、何?
「どしたのシュン?」
「や、誰か来たぞ。ノックが聞こえた」
 私には全然聞こえなかったわ。
「そう、だね。聞こえた」
 エリルまでシュンスケの言葉に頷いた! ってことは、私だけ聞こえていなかったのねっ、というか聞こうとしていなかったのかも。だって、すっかり忘れていたもの! ああああ、あんなにお腹をすかせていたのに忘れてたのね! 意識した途端、空腹感が私を苛(さいな)み始めた。ううぅ。
 シュンスケがさっと立ち上がって、扉を開けに行く。その後に私とエリルもくっついていって、来訪者をそっと窺ってみた。
 そこにいたのは、女性だった。ふわふわした栗色の髪に焦げ茶の瞳で、服装はいわゆるメイドさんみたいな感じ。ちょっとだけふくよかで、眼がぱっちりしてて、可愛い、っていう感じ! 何せ、メイド服が違和感ないんだもの。案外合うものなのね!
「こんばんは、シュンスケさん、マユさん、エリルさん。私、厨房係のミサエと申します。ご夕食のご希望を尋ねに参りました」
 声も、予想通り高くて可愛らしい! 媚びているわけでもなく、でもぶっきらぼうでもなく、同じ女として反感を持ってしまうようなこともなく――良い人じゃない! でも、夕食の希望を訊きにきたってことは、これから作るのかしら?
「あの、もしかしてまだ結構かかりますか?」
「いいえ、それほどお待たせはしません」
「指定はあるんですか? 中華とか、和風とか」
「いいえ、ございません。お好きなものをどうぞ」
 そう言われると、余計悩んでしまうっていうものよね。ああ、どうしよう。とにかく何か食べれれば良いんだわ! 私は特に好き嫌いないし。シュンスケも同じだと思うわ。その証に、こう訊いてた。
「あの、お任せってなしでしょうか?」
 すると、ミサエさんは笑った。
「ありますよ。ご希望ですか?」
「あ、じゃあ僕はそれでお願いします」
「あっ、私もお願いします!」
 慌てて私も挙手! お任せ二名様ですね、とミサエさんが小さく確認する。あとはエリルだけ! 振り向けば、エリルは真剣な顔で悩んでる。……また何か、素っ頓狂なこと言い出したり、しない、わよね……? 密かに危惧する私。
 でも、予想に反してエリルはまともなことを言った。う〜ん、まともというか、変なことではないんだけど、普通なことのはずなんだけど、何故か結構、大変なことに聞こえたのは私だけかしら?
「主食は白米ご飯で。汁は芋の味噌汁で、虹鱒(にじます)の塩焼きに、胡瓜(きゅうり)と干し大根の漬物」
 言い切ってから、エリルは急に不安そうな表情を作る。
「で、大丈夫ですか……?」
「ええ、もちろんですよ」
「あっ、多すぎます? 覚えられませんよね、すみません、今紙に書いてきます」
「大丈夫ですよ、私、記憶力には自信がありますから」
 にこにこと笑うミサエさんに、エリルもほっとしたみたい、胸を撫で下ろした。最後の確認とばかりに、ミサエさんはメニューを復唱した。
「お任せメニューお二人様、白米ご飯、芋の味噌汁、虹鱒の塩焼き、胡瓜と干し大根の漬物……以上でよろしいですね?」
 もちろん、異論はないわ! エリルの注文も、たぶんきちんと漏らさず記憶している辺り凄いわよね。私達が頷くと、ミサエさんは一歩下がって礼をした。そして丁寧に体を起こすと、小走りでどこかへ向かっていった。おそらく厨房だと思うわ。
 私とシュンスケは、エリルに向いた。
「エリル! 凄い注文だったなあ!」
「え、そうですか?」
「敬語」
「あっ、うっ、ごめんなさい」
「俺なんか、いざとなると全然思い浮かばなかった」
「私も」
「そう、なの?」
「うん! 何でかなぁ」
「とにかく、これからは事前にメニューを決めておくことが必要だな」
「あの、その時にメニューを書き止めておくってどう、かな? あまり多いとさすがに大変だと思う」
 頷くシュンスケに、エリルが提案した。それには私も同感だわ。もしかしたらミサエさん、全部の部屋を回るのかもしれないじゃない。そうしたらとても大変よね。私だったら、絶対に何かしら、ううん半分以上忘れちゃうもの!
「そうしましょそうしましょ」
「オーケイ、それも決定な」
 私達は、広いテーブルのある広い部屋(同じ形容詞が続くって、何か間抜けね)に戻った。十分も経たないうちに、再び扉はノックされて、夕食が届いた。早い!
 カートを押して立っていたのは、やっぱりミサエさんだった。