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 ……と。
 突然誰かの泣き声が聞こえたの。かなり近くで。私とシュンスケは、ぎくっとして動きを止める。私もシュンスケも違うから、つまり残りは……エリル?
「うくっ、ひっく」
 両手で必死に涙を拭いつつ、可愛らしく嗚咽するのはエリル。綺麗な顔のパーツをそれぞれ少しずつ歪めて、泣いてる。私達は唖然としながらそれを見守ってた。
 すると、エリルが口を開く。
「お二人とも、っく、喧嘩、しないでくださいっ、うっ、あぐ」
 そう、途切れ途切れにエリルが訴える。私達は慌ててフォローに入る。悲しいかな、こういう時だけ私達の息はピッタリ合う。
「あっ、あのね、これはね」
「喧嘩、ってもんでもなくって……」
「いわゆる兄弟喧嘩ってヤツで」
「おいマユ、それじゃ喧嘩そのまんまだろ」
「あ、そっか。えーと、じゃなくって」
「まあ、じゃれあってるわけだ。猫みたいに」
「いつどこで誰がじゃれあってるって?」
「俺達がいつもどんなところでも」
「してなあーい!」
「つまり一種のコミュニケーションで」
「遊びみたいなもので!」
 何とか二人でそう言葉を繋いでいくと、泣き腫らして赤くなった目のふちを少しほころばせて、エリルは笑った。
「もしかしてこれも“そんなもん”なんですか?」
 なんて、真顔で聞いてくるからどう応えて良いか分からなくなっちゃって。結局適当に頷いた。
「そ! “そんなもん”よ!」
「最近それで済ませすぎだぞ……」
 こっそりと呟かれたシュンスケの嘆きは、軽く叩くことで黙らせた。それに、ここで立ち止まっててもちっとも進まないし、そろそろここは終わりね。
「とにかくっ、行こう行こう!」
「おーっし」
「はい」
 エリルも落ち着いたみたいで、私達はさらに先に進んだ。

 

 その先には、広い部屋があった。
 床は板張り、窓は大きくて外に面している……のは当然ね。ふかふかなソファーがあって(三人は余裕で座れそう!)、テーブルも広い、素敵な部屋! ……要素を上手く説明できてないあたり、私のボキャブラリーが少ないのが悔やまれるわっ。
「うん、良い感じじゃないか」
 シュンスケもしたり顔で頷いてる。エリルはきょろきょろと室内を見回して、そのまま表情を変えずにどんどん奥へ進んでいった。
「あ、エリル行っちゃうよ」
「行こう」
 彼の後を追って、私達も歩き出す。その途中で、シュンスケがぽつりと漏らした。
「施設が充実してるな」
「そうね。……シュンは嬉しいんじゃあなぁい?」
「まあな」
 そっけなく応えてみせたシュンスケだけど、目がきらきらと輝いていて、内心凄く気分が高揚しているんだってことが分かる。シュンスケは無類の勉強好きだから、こういう勉強用の環境が整っているところが良いっていつも言ってたのよね。
「良かったねー」
 そう言ったところで、私達はエリルに追いついた。この部屋はどちらかというとプライベートスペースっぽいところ。とりあえずベッドが三つあって、上を見上げれば、今は開いているけど仕切れるようにカーテンレールが敷かれてある。それぞれが囲われてるから、好きな色に変えられるあたり良いわね!
 部屋の壁に沿うようにして、大きな本棚とクローゼットが三つ、置かれてる。これまたシュンスケが喜びそうな本棚は、一つだから兼用みたい。現に、シュンスケの視線はそっちに釘付け! エリルはというと、やっぱりきょろきょろしてる。そんなに珍しいのかしらね。
 私はこの隙にというか、真ん中のベッドに飛び込んだ。
「私ここね!」
「おい勝手に決めるなよ」
「シュンはそっちのほうが面白いんじゃないの?」
「だからって……」
「はいはい決ーまり、エリルはどこが良いの?」
「俺は無視かよ」
 やっとこさこっちに向いたシュンスケをあえて無視! エリルに訊ねると、彼はうーんと首を傾げる。
「えーと、どこでも良いですよ。シュンスケさんは?」
「や、エリルの希望で」
「う〜ん」
 エリルはかなり真剣に悩んでいる。やがて上目遣いにシュンスケを見て、
「本当に、どちらでも良いんですか?」
「良いよ。どっち?」
「窓側で」
 どういう意図があったのかは分からないけれど、エリルは最も奥のものを選んだ。それぞれのベッドの上には小窓があるんだけど、そこだけもう一つ大きめの窓があるのよね。外を眺めるのが好きなのかもしれないわね。
「じゃあ俺はこっちか」
 それぞれの場所が決まってほっと一息。寝っ転がって見ると、何だか眠くなってきた。まだ陽は高いのに。疲れたのかしら?
「ねえ……ちょっと寝ても良い?」
「良いんじゃないか? ってか俺も眠い」
「エリルは〜?」
 何だかどころじゃないわ! もう私のまぶたは視界の四分の三ぐらいを覆うほど落ちてきてる。エリル、早く返事!
「良いですよ。健康一番です」
 ちょっとピント外れなエリルの声は、はっきりしていて眠気を感じさせない。けど付き合ってくれるみたい。ありがたいわ!
「ありがと〜、おやす……」
 み、まで言った覚えがないから、たぶんここで意識が落ちたみたい。隣でばふんと倒れこむ気配がしたけど、私が認識できたのはそれだけだった。

 

 私が目覚めたのは、もう陽の傾いた頃だった。部屋に差し込む赤い光に飛び起きて、時計を見ればもう結構な時間。やば!
 シュンスケもエリルもまだ寝てる。とにかく起こさなくちゃ! まずはエリルに近づいてみる。
「エリル、起きて起きて!」
 声をかけた瞬間。がばっ! と物凄い勢いでエリルが身を起こした! 私は驚いてのけぞって、エリルは目を見開いて正面を凝視してる。と思ったらゆっくりと息を吐いて、こちらを向いて、笑った。
「おはようございます、マユさん」
「お、おはよう……」
 強張る口を何とか動かして答えると、エリルはシュンスケのほうに視線をやって、起こしましょうかと呟いてベッドから降りた。そしてシュンスケを揺り起こす。少しぼーっとしていたシュンスケだけど(シュンスケは低血圧なの)、エリルから時間を告げられると億劫そうに身を起こした。がしがし、と後頭部を掻く。まだ眠そう。
「あー、……これからどうする?」
 そう言ったのはシュンスケだった。