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1-3

 ひとしきり笑ったわたし達は、自分達の部屋へ向かうことにした。
 ヴィンターゲシュの玄関は、四箇所にあった。ヴィンターゲシュの寮のつくりが北に二年生の六部屋、南に一年生の六部屋、東西に三年生のそれぞれ三部屋、となっているのは前に話したわよね? 玄関は、方角で言うと、南東、北東、南西、北西、になるの。
 わたし達は南西口から入った。わたし達の部屋に一番近い玄関は其処だったから。
 ヴィンターゲシュの校舎には、土足のままで入ってよかった。それなのに、床のじゅうたんは全然汚れてなかったの! 魔法がかかっているのかもしれないわ。なんたって魔法学校だものね。
 玄関から入って、東に向かって三つ目の部屋がわたし達に与えられた部屋だった。部屋のネーム・プレートには、
『俊佑
 麻由
 慧璃琉』
と書かれていた。
「此処ですね」
 エリルが言った。ちょっと緊張しているみたい。わたしはその緊張をほぐそうと、つとめて明るく声をかけた。
「此処ね。どんな部屋かしら。入ってみましょ」
 シュンスケがドアノブに手を伸ばし、掴んだ。まわして、ゆっくりと押して、
「……開くぜ……」
 顔を引きつらせて言ったの。そりゃ、当然じゃない。わたしは驚いて、
「そ、そりゃあ開くに決まってるじゃない。わたし達の部屋よ? ねっ、エリル?」
 エリルのほうを向いた。「そうだよ」という答えを期待してね。だけどエリルは、
「…………」
 そう。無言だったの。
「エリル?」
 エリルはわたしのほうを向いた。それが、きょとんとした表情だったから、わたしは再三驚いちゃった。作り物じゃなくて、本当に訳が分かっていないみたい。
 エリルは、
「此れも、そんなもん≠ネんですか?」
 とわたしに訊いた。わたしも思わずきょとん、として、訊き返した。
「そ、そんなもん=H」
「そんなもん=v
 こんなことを訊くなんて! 冗談を言ってるのかしら、それとも頭が狂った? わたしはそんな風に考えてみたりもしたわ。けれど、エリルの顔は真剣だった。冗談を言ってるようにも見えないし、狂ったようにも見えない。真剣そのものの表情だったの。
 わたしは困ってシュンスケを見た。シュンスケは、お前の好きなように答えろ、と放任主義なかんじにわたしを見た。つまりわたしだけに責任を押し付けたの。ずるぅいっ!という邪魔な感情は置いといて……。シュンスケの顔からはさっきの引きつりが消えて、かすかに驚愕の表情がうかがえた! シュンスケが他人の前でこんな顔をすることも珍しいのよ。わたしはもちろん、それにも驚いちゃった。
 わたし、今日は、驚きすぎね。
 そう思いながら見ると、エリルはわたしをじっと見つめて、わたしの答えを待っている。わたし、ぐっと息をのむ。私の答え方次第で、エリルの考え方が左右されることは、間違いないわ。返答の前にまずは深呼吸を三回して、気持ちを落ち付けて、答えるために口を開く。
「……そんなもん=Aよ」
 エリルの口が、ほおっと言うように開いた。シュンスケも口をパコッと開けて、慌てたように閉じた(此れもシュンスケの驚きの表情よ)。それを選んだか、我が妹よ! と、シュンスケが声を出さずに言ったのが分かった。エリルの唇が動く。
「……そんなもん=Aなんですね?」
「そんなもん≠ネのよ」
「そんなもん≠ネんですか」
「そんなもん≠ネのよ」
 なんか、『そんなもん』って言葉が異様に飛び交ってる……。エリルと応答しながらわたしは思った。何回言ったかしら。数えてみよう。エリルが訊ねて一回、訊き返して二回、其れに答えて三回…………もう、分からない! いいわよね、こんなこと関係ないし。許してね!
 ところでエリルは納得した表情で、うんうんと頷いてる。――何に納得したのかしら。
 シュンスケはさっきから茫然と立ち尽くしている。――いつまで驚いているのかしら。
 さっきまでの恐怖がエリルの言葉で忽然と消えていた。わたしはちょっとほっとして、二人を促した。
「さあさあ、いつまで此処に居るの? 早く中に入りましょ」
「うん!」
 エリルはにこっと頷いて、
「あ、ああ……」
 シュンスケはやっと夢から醒めたようにカクカクと頷いた。さぞかし面白い夢を見ていたのでしょうね。

 

 ドアの先には廊下が続いていた。
「へえ……」
 わたし、シュンスケ、そしてエリルは感嘆の声をあげた。何故だかよく分からないけど、なんとなく感心したくなる空気がドアの向こうにはただよっていたからかしらね。
 少し進んだところに、一つ、ドアがあったの。わたしは、取っ手をひねって押してみた。入り口から中を見てみると、さらに横に引く形のドアがあった。入って、一通り見回して、
「ここは、シャワー室みたい!」
 外に残るシュンスケとエリルに教えた。
 すると、
「シャワー室か! なるほど」
 シュンスケが答えた。――何が『なるほど』なのかしら。
 廊下に戻って中へ進む。すると、右手に二つドアがあるのが見つかった。上のほうに四角いガラスがはまってて、中は見えないけど、ガラスの色が手前側はピンク、奥は水色で、これが何かを分けているような……
「男女わけの印かな?」
 シュンスケが言って、水色ガラスに向かった。扉を開けて、
「……トイレだ」
 そう言ったの。
「トイレ?」
 わたしが桃色ガラスのドアを開けると、……確かに。
「こっちもよ」
 そして、ふと思い当たることがあったから、訊いてみた。
「もしかして、そっち、男子トイレ? こっちは女子用みたいだけれど」
「そうだよ」
 ――当たった!
 普段はこんなことないから、嬉しくなったわたしは思わずニヤリと笑って、……いけないいけない。慌てて普段の顔に戻した。だって、またからかわれるのが分かっていたもの。でもシュンスケはわたしの顔の変化に気づいたらしく、
「マユマユ、今、嬉しかったんだろ。えェ? そうだろそうだろ、図星だろ? な?」
 ニヤニヤと意地悪く訊いてきた。目ざとい。んむぅ、確かに嬉しかったけど、けど、
「いいじゃん! ちょっとだけだし! て、てゆーか何が悪いの? 喜んでさ! シュンスケだってこういうことあるじゃない! 人の事言えないわよ!」
 一生懸命反抗。するとシュンスケは、ぐ……っ、と少しつまったけど、
「お、お前だって人の事言えねーよ! お互い様だろ?」
「先に言ってきたのはシュンじゃない!」
「でも元はお前が震源地だろ! バカ!」
「バカって何よ、バカって!」
「なんだよ、バカの事バカって言っちゃあいけないのかよ!」
「バカって言ったら自分がバカなのよ!」
「ふん、この秀才シュンスケ様に逆らう気か?」
「何が『秀才』よ! シュンは偉くもなんともないでしょ?」
「だが頭はいいぜ?」
「みんな平等の世界に生きてて何言ってんの?」
「ほお? じゃあマユの算数のテストは何点だっけ? ああ?」
「う……、そ、それは……」
「ほーら、言えないだろー」
「う……」
「へへん! 漢字は? 音楽は?」
「うう……算数も、漢字も、音楽も、……ええっと……」
「ほらほら言ってみ? 言えないのか? 言えないだろう。言えないなら、俺に従……」
「うわあーあん」