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 ヴィンターゲシュ魔法学校の校舎は、面白い形をしていた。少なくとも、わたし達にとってはね。かくかくとしたそれは『日』の字を形作ってる。外枠の部分が生徒の寮だったり、空き部屋だったりするみたいね。中を通る一本線に沿って、授業部屋が連なってる。南側は、西から道具学準備室、道具学室、生物学室、大魔法室、職員室A。北側は、同じく西から職員室B、呪文学A、B、魔法薬学室A、B。
 そして、わたし達の寮――部屋の場所も書かれていたわ。基本的に、一部屋に三人が暮らすようになっている。一年生はどこもそうみたいだけど、二年、三年はところどころ二人部屋が見られる。わたし達はもちろん、自分の名前をまず探した。
 わたしとシュンスケは、同室。一年寮の西から三番目の部屋。やっぱり三人部屋だったの。
 部屋の図に、横書きで名前が書かれてあった。上から、『俊佑』、『麻由』、そして『慧璃琉』と書かれてあった。
 シュンスケの眉間に小さくしわが寄った。わたしを見た。難しい字ね。なんて読むのかしら。という眼で見返すと、シュンスケも、まったくだ。という顔をした。
 わたしは考える。『慧』はきっと、『エ』と読むんでしょうね。『璃』も『リ』だと分かる。問題は『琉』。『リュウ』ではおかしいから……
「エ、リ、ル。だろうな」
 シュンスケが呟いた。他に良い読み方はなさそうだもの。でも、
「おかしな名前ね」
 わたしは言った。
「外国の人みたい」
「同感」
 シュンスケの短い同意を耳の中に残しながら、わたしはきょろろと辺りを見回してみた。う〜ん、まだ来ている人はいないわね……。
 いえ――――いたわ。
 昇降口前の階段に、一人子供が座り込んでいたの。
 それは、少年だった。そばに小さな黒のトランクが、ちょこんと置いてある。わたしは目を細めたけど、それ以上は見えなかったわ。だから、わたし達は彼に少し近付くことにしたの。トランクを引きずって彼に向かって一歩、また一歩進んだ。
 だんだんと、少年の顔、体つき、表情などが、よく見えるくらいに近付いてきた。彼もわたし達に気付いていたらしく、スッと立ち上がる。身軽だな、とわたしは分かった。そしてわたし達は正面から向かい合った。
 男の子にしてはちょっと長めの黒髪。見方によれば女の子にも見えるかも。すっきりとした顔立ち。静かな瞳。印象的なのがこの三つね。男の子……のはずなのに、透明で綺麗で思わずはっとしてしまう。わたしはドキッと固まって、それからぶんぶんと頭を振った。やだわたし、今日はなんか男の子に見とれてばっかりだわ。しかもその片方が、毎日眺めてる小憎たらしい肉親の顔だってことが気に食わないけど。
 少年が、恐る恐るといった様子でわたし達に問いかけてきた。
「一年生……ですか?」
 声変わり前の、男の子のわりに高めで透き通った声。
 わたしの代わりに(かどうかは分からないけど)、シュンスケが答えた。こっちは、やっぱり声変わり前で少年らしさを残している(と思う)けど、しっかりはきはきした口調。
「そう。僕はシュンスケ。シュンスケ・クリハラ。こっちが妹のマユ。君は?」
 すると、彼はちょっと驚いたような顔をした。不自然な動作――手を、トランクの上に置いてある紙、たぶんわたし達もミスター・セキからもらったものと同じやつに伸ばすっていうの――をしかけながら、途中でやめてしまう。どうしたのかしら、とわたしが首を傾げかけた時には、彼は息をすうっと吸って(気持ちを落ち着けたのね)、答えたわ。
「エリル・ヒイラギ、です」
 ――エリル。
 シュンスケが少し目を見開いた。これはもちろん、驚きの表情よね。変な顔、とそうでもないんだけど、横目で見ながら思ってから自分に注目すると、わたし自身も口を半開きにしているのに気付いた。ぽかーん、……うわわっ。慌てて口を閉じる。わたしったら、初対面なのに。恥ずかしっ。
 少年――慧璃琉が、ペコッと頭を下げた。わたし達もそれに合わせた。う〜ん、雰囲気に流された感じだわ。
 わたし達が顔を上げたとき、エリルはまだお辞儀をしていた。
「エリル、どしたの?」
「いえ」
 そしてやっと顔を上げた。さすがに、いくらなんでも、これは長すぎる気がするんだけど……。
 ま、いっか。
 割り切ったわたしは大きく息を吸って、右手を差し出した。よく考えたら、わたしまだ自分で名乗ってなかったじゃないの。
「マユ・クリハラです。マユ、って呼んでちょうだいね。よろしく!」
 するとエリルはわたしが想像しなかった、意外な行動にでた。なんと、――目を白黒させたの! ぱちぱちと眼をしばたかせつつ、きょろきょろと視線を彷徨わせて、じっとわたしの手を見つめる。まずかったかな……、エリルの国では握手という挨拶の方法はなかったのかしら……。そう思って、わたしが手を引っ込ませようとすると、後ろから手首を掴む者がいた。――シュンスケだった。
「そのまま」
「う、うん……」
 シュンスケに従い、わたしが手をそのままにしていると、エリルもおずおずと手を差し伸べてきた。その仕草が妙に可愛くて、わたしはクスッと笑みを漏らした。まるで小さなリスみたいだわ。わたしはエリルの手を握って、繰り返した。
「よろしく」
 エリルもニコッとして、
「よろしく、マユさん」
 几帳面に言った。やさしい笑みだったけど、どこか真面目で、今度はプッと吹き出してしまった。慌てて口元をおさえる。シュンスケも戸惑ったように笑いを隠して、
「お、おいマユ……」
「だ、だって……」
「だってじゃねぇよ、このやろう」
「しょうがないじゃん……笑いは止めようとしてもっ」
「そりゃ止められねぇけどなあ……」
 ところでエリルは会話の意味が分からず、きょとんとしている。そんなエリルにシュンスケは説明した。
「あのな、……エリル、って呼び捨てにしても良いか? オッケー。……エリルはさっき、マユのことを“マユさん”ってさん付けしただろ? それがマユにとっちゃあおかしいんだよ」
「……何故ですか?」
 さらにきょとーん、ってしちゃうエリル。シュンスケは笑いを噛み殺すようにしながら、わたしの心中を的確に説明してくれた。 「マユは、マユって呼んでほしいんだ。俺達今まで同い年に敬称つけて呼ばれたことなんてないから。そんなもんなんだよ」
「そんなもん……なんですか?」
「そっ、そんなもん」
 シュンスケがニヤッと、唐突に笑った。それを見たわたしとエリルは吹き出して、思い切って三人一緒に大声で笑った。校庭に、わたし達の笑い声が響いていく。エリルは可笑しさをこらえているようだけど、おなかを抱えてクスクスと笑っていた。幾分緊張がほぐれてきたみたいで、わたしは密かに胸をなでおろす。ホッ。

 これが、中学校生活最初のちょっと奇妙な友人であり、ルームメイトであり、のちの親友との出会いだったの。