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「ふ〜っ、いいとこね!」
 わたしはピンク色のトランクに左手を置いて、青く澄んだ空を見上げた。ほうっと息を吐き出し、また吸うと、桜の香りがほんのりと薫っているようで、春だなあ、と実感が湧いてくる。
 初めまして! わたし麻由。十二歳。茶髪と緑の目を持ってる。今年、ここヴィンターゲシュに入学するの。
 ヴィンターゲシュは、かなり高度な魔法を教えてくれる学校。始業式の十日前から敷地内に入ることができるんだけど、わたし達は始業式の九日前にここに来たの。校庭に見当たる人影は全くなし。きっと、皆親との離れを恋しがっているのね――わたし達はそんな感情を持つことさえできないのだけれど。
 ヴィンターゲシュの校庭には、桜や常緑樹、針葉樹までもがいっぱい、いぃっぱい体を張っている。鮮やかな緑が眼の中に飛び込んできて、キラキラ眩しいくらいね。豊かな自然に囲まれた、穏やかな学校だわ。
「そうだな、空気とか」
 左隣で樹を見上げ、目をつむって大きく深呼吸したのは、わたしの双子の兄・俊佑。私と比べて暗い色の茶髪だけど、だからこそ光が透けると、とてもキレイ。これは妹のわたしでも認めざるを得ないわね。これで性格が、どうにかなれば理想の男性像、かもしれないのに……。
「どうした?」
 私の視線に気づいて、シュンスケがわたしのほうを振り返り見た。その瞳は、深い海の青。わたしの目はそこに思わず吸い寄せられて、それに気付くと心臓がドッキンと跳ねた。いけない! これで褒めたりなんてしたらシュンスケはすぐ自慢するだろうし、何よりわたしが褒めたくないわ! わたしは猛烈な勢いで首をぶんぶんと振った。
「違うっ! 全然違うよっ! 見とれてなんてないっ! 見とれてなんてないっ!」
「見とれた?」
 シュンスケが表情をニヤリと崩して訊いてきた。言葉の綾に、……もうっ、意地悪! 分かってて言ってるんだわ! このままじゃいられないもの、わたしは右手でシュンスケの背中に平手打ちを送ってやった。できるかぎりの力を込めて、バシッと、思いっきり、やってやりました!
「ぐおっ! な、何すんだよ」
 いきなりの出来事に、さすがのシュンスケも戸惑ったみたい。あわあわと口を開閉して、目を白黒させて、慌てる。そんな彼にもう一度平手を見まい、わたしは叫んだ。
「見とれてなんかないって、言ったでしょっ!」
「だ、だからってたたくことないだろっ」
「た、たたいたんじゃないもん! は、はたいたんだもん!」
「おんなじことだっつの!」
「違うもん!」
 広い校庭の一角でわたし達ががみがみと言い合っていると、誰かが背後から近付いてきた。その気配と足音に気付いた時には、既に時遅し。
「お二人さん、シュンスケ・クリハラさんとマユ・クリハラさんですね」
 声をかけられていて、わたし達はびくうっと飛び上がった。わたし達が放っていた言葉が、静かな空気の中で残響を残してる。かなり大声でやってたのね、うわー、聴かれちゃったわよ!
 振り返ったわたし達の後ろには、男の人が立っていた。わたし達より黒味がかかった、さっぱりとした茶髪の、柔和そうな人。「さわやか」という言葉をとっさに連想したくらいよ。よく見ると、存在感の薄い縁無しの眼鏡をかけてる。
 彼は、ゆっくりと頭を下げて言ったの。
「私(わたくし)は、トモカズ・セキといいます。体術を担当しております」
 そして二枚の名刺をさし出してきた。そこには、こう印刷されていた。
『ヴィンターゲシュ魔法学校
  一年体術教師
   知和・関        』
 ご丁寧なことだわ。そんなふうにわたしが呆れながら感心している隣で、シュンスケがいきなりピシッと背筋を伸ばして、今更のようだけど改めて自己紹介をした。
「一年、シュンスケ・クリハラです。一年間、宜しくお願い致します」
「お、同じく一年の、マユ・クリハラです。よろしくおねがいしますっ」
 わたしも慌ててそれに続く。同じ言葉を言ってるのに、わたしが言うのとシュンスケが言うのとでは、圧倒的にシュンスケのほうが様になってるのは何故かしら。ちょっとばかり不思議だわ。ミスター・セキは、ハハハ、と快活に笑った。
「一年の、シュンスケ、マユ・クリハラ兄妹ですね。こちらこそ宜しく」
 わたし達はペコリと頭を下げた。
 ミスター・セキは、持っていた紙の束を一部ずつわたし達に手渡した。A4サイズの紙が数枚、左上の隅にホチキスでとめられている。ちなみに、内容は横書き。
「見れば分かると思いますが……、一枚目がヴィンターゲシュの校舎地図、二枚目からはヴィンターゲシュについてのいろいろな説明、例えば服装だとか、授業の内容・持ち物などが書かれています。お分かりですね?」
「はい」
 シュンスケが即座に答えた。うお、エライ。超即答よ。
「よくお読み下さいね。あとはお二人でどうぞ。何か分からないことがありましたら、校内の者にお気軽に声をかけてください」
「分かりました。ありがとうございました」
 礼儀正しくシュンスケが礼をして、慌ててわたしもそれに倣った。それをやわらかな眼差しで見ていたミスター・セキは、あっさりとわたし達に背を向けて、歩いて静かに立ち去った。
「……ふぅ〜〜っ」
 シュンスケが気が抜けたように息を吐いた。緊張の後に予想していなかった音が聞こえて、わたしはぞっとしながら、シュンスケの顔を覗き込んだ。
「どしたの、シュン。大丈夫?」
 それに返ってきたのは、
「いや〜、こういうのって、緊張するねぇ〜」
 フニャリと崩れた彼の表情だった。さっきまでとは打って変わった腑抜け様! 溶け始めたアイスクリームみたい!
「初めてじゃないか。疲れるよ、さすがに。こんなの毎日続けてたら、体と気が保たなそ〜」
 わたしは脱力して、もう一度平手打ちをしたくなった。
 これが、シュンスケという人なのだ。ちゃんとした場ではきちっとするくせに、普段の生活ではかなりふざけたような性格になる。これなのよね、シュンスケの欠点というか利点というかは。このギャップに、わたしは随分前からずっと今も悩まされている。
 どうにかならないのかしら。
 ハァ、とわたしは溜め息をついて、ミスター・セキにもらった資料を広げた。それを見ていたシュンスケも、トランクから眼鏡を取り出してかけ(シュンスケは近視。本の読みすぎで!)、資料を見つめた。